Kakuya Ohashi & Dancers [ BLEACHED ]


2009/03/07 14:00/17:00
at 横浜桜木町駅ゲージ
Charge 「2000en / 先着20名」※予約制

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ふだんは開放されていない桜木町駅ゲージに囲まれた矩形で「江夏令奈、前田尚子、多田汐里、とまるながこ」がダンスし「舩橋陽(saxophone)大谷能生(saxophone)長沢哲(drums)」は演奏を聞かせるというMOV横浜「BLEACHED」とは大橋可也&ダンサーズの新作公演のタイトルですけれどマチネ/ソワレともに20名しか見ることができないプレミアムを目撃するか喪失するか迷っている暇がないうちにSOLDOUTになってしまうでしょうからどうぞお早めにこちらでhttp://dancehardcore.com/archives/000433.shtml詳細を。

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BLEACHとは脱色です。語尾にEDが付けば語意は「脱色後」であり「誰々が」「誰々に」がセンテンスに置かれれば「脱色された」「脱色した」という意味になるでしょうし且つ「ED」はそういえば性的な不能性も読ませる二文字だった「BLEACH」+「ED」であるか「BLEACHED」であるのか、やったのは誰なのかやられたのかやられたのは誰なのか何処で誰が誰にどうやられたのか、やられたのか?ほんとうか?やれなかったからがっくりだったのか?そうなのか、ほんとかしら、どうかしら、どうなのか踊りない音ない人居ない「場」をゼロとするならば、踊りのある音のある人の居る「場」はゼロでなくなるという点で「BLEACHED」が「脱色」という意味が不一致はおそらく呪われているのでなく狙われたギャップ、ねえ馬乗りでシテ、ギャロップ、ところ鞭打ってゼロをゼロでなくする踊りや音とはなにか「江夏令奈、前田尚子、多田汐里、とまるながこ」はなにをどうダンスするか、どうなにをダンスするか「舩橋陽、大谷能生、長沢哲」はなにをどう鳴らすか、どうなにを鳴らすか、お互いはお互いを見つめるか、踊りと音は対しているのか、踊りのなかにも音のなかにもプレーヤー同士の相反や拮抗があろうがマッチングされたことをどのようにどこまで用いるか、流れのままにするのだろうか、ゼロがゼロでなくなる行為でもってゼロからゼロでなくなるそのことそのものを「ゼロ・プラス」でなく「ゼロ・マイナス」とするか、それとも「プラス」でもって「マイナス」を踊るのか、鳴らすのか、そうなのか?脱色である、色の抜かれた、抜かれた色と、抜いた色があるのだ、色の話である、そして抜かれた色はあたらにどこかで用いられるのか、それは採られたか盗まれたか、色の話しである、色を抜く、どこにいく?どこでいく?どこでやる?やれなかった、やられそうになってた、やられるところだった、やれるところだったのに空しかった、色の話しである、ブリーチ、ブリーチ、ブリーチしているブリーチされてるブリーチされて抜かれた色がある「脱色されて消えた色があるという印象」と「抜かれた色への空想」と「抜かれた色を探したい欲望」と「抜かれた色の見つからない錯乱」と、どこにある、どこでどうある、どこでどうかなるかもしれないんだった、色づかい、色を使う、そうじゃない、BLEACH、もしこの語の手前に主語があるとしたらそれはどのような綴りでしょう、そう、させたの、誰、そう、させたひと、どこ、されたの「誰なのか/何処なのか」というMOVではない、ここまでは色の話し、大橋可也&カンパニーの新作公演 MOV横浜「BLEACHED」の「mov」とは「MOVE、移動すること、移動すること(motion)によって感情(emotion)が生まれる、劇場から路上へ、東京から他の場所へ、移動することによって現代社会における新たなパフォーマンスを生み出すプロジェクト、MOV横浜、忘れ去られた都市のデッドスペースを再生し、行きかう人々と都市との関係性の変容を試み」であるという。
大橋可也は、どこに、どのようにあるか。
「帝国、エアリアル」として露わにされたリアルが、こんど、3/7の横浜で、われわれを。