大橋可也&ダンサーズ「BLEACHED」


2009/03/07

SAT_17:00 Start

"BleacheD"
Mov YokoHama
KakuYaOhaShi&DanCers


ダンスは扇情的・破壊的・破滅的・衝撃的で、
サウンドはエレクトロニックでインプロビゼーションを鳴らしていた、
「帝国、エアリアル」とはうってかわって、
ダンサーのダンスは、
運動、移動、停止、
それぞれがはっきりと分節化されているように見える始りだった、
MovYokohama「BLEACHED」。
だから、停止したダンサーは、
まなざしを誘発するストップとしてそこにいた。
動きそのものはもとより、
うちなる感情を見つめさせる、
そのような、蠱惑、鼓動、鳴動、
微動、蠢動、そうだ蠢動であったように思うのだ。
止まり、われわれを見つめる、ダンサーは蠢動していたし、
それはおれが蠢動させていたということでもあるけれど、
ゆらり揺れる指先の描くは消える細長い爪先の咥える灰色の砂、
止まり、こちらを見つめるダンサーが、
激しい踊りの最中には定まらない視線を、
われわれに投げかけていたのだ。
ひとつの身体のなかで前後に立ち位置を替える感情と肉体、
という解釈はほんとうは正しくなく、
ひとつの身体の奥行きを感情が前後し、
肉体はその外枠であり続けているだけかもしれない。
たとえば、
「ノックが聞こえたとしたら、それはドアの内側と外側のどちらから叩かれたからであるか」
というフレーズが浮かんだとしても、
ドアを内と外にしているものを反省せず口にするとしたら、
それはひとつの詭弁になってしまうということと書いてみて、
そういえば「わたし」とはひとつの詭弁なのではないかと思う。

観客が通されたゲージから一つ向こうのゲージ。
三人のミュージシャン、ツーホーン+ドラムス。
約二十分。
演奏を聞かせる。

観客のゲージが開く。
四人のダンサーが入ってくる。
白シャツとグレーのスカート。

がッサ、ガッサがッサ、
ダンサーが動くたび地面が擦れる音がする。
大きく動き、滑れば埃がたつ。
ピッコ、ピッコ、ピッコ、
歩行者用の青信号その点滅を知らせる音が鳴る。

ゲージの周囲を歩く人たち。
ファミレスを出て、大声で、さようなら!またね!じゃーな!を叫ぶ声。
ゲージの内に踊るダンサーに視線を吸い寄せられるように、
首をひねりながら歩いていく人。
ゲージのうち、ゲージのうち、ゲージ、
ゲーゲー、ゲージ、ジージー、ゲージ。
首ひねりながら歩く人たちはそこでおそらく気づかない。
視姦のまなざし。

じっと見る。裸電球が明滅を繰り返す。
ゲージのインナーにつけられた電灯が光の列を見せる。
四国に、いや、おそらく全国に、
かつて茶色であった鶏はいつしか白くされたのだという。
少しづつ夜になっていく。
あおからあおへ。
さっきはまだ昼のすこし終わりだった。

ミュージシャン。サウンド。ミュージック。
われわれのゲージ、ダンサーが踊るゲージ、ダンサーが踊るのを間近にするゲージ、
その後のゲージから音が聞こえてくるサウンド
がッサ、ガッサガッサガさ、転がって飛ぶ。
われわれのゲージの後ろのゲージに三人のミュージシャン。
跳ねて止まり、足を投げ出してまた転がるダンサーを見るとき、
サウンドはわたしたちの後ろから聞こえていた。

街があり、囲われた、われわれは見ていて、視られてもいた。
それはほどけば一糸である鉄線に過ぎないのに。
どこからか、いつからか、金網であったのだし、
囲われたわれわれは錆び、
大橋可也はそっと現われて、
地にへばるダンサーにゆっくりと近づくと、
透明のボトルからこぼした。
白い粉だった。

ゲージのうち、

見られているわたしたち、

わたし、たち、
ゲーゲーゲージージー

たった、わたしたち。

それだけ。

たった、わたしたち。

それだけ。
わたしたち。
金網のうちに。
たった、それだけ。