シー2ラック&20081228抜粋:2


見ることも触れることも、作品とか作品の予感みたいなバイアス越しにどうにか感じ取れるかどうかというギリギリ隔てられてる感じがそれまではあって p110


大橋可也&ダンサーズとは「ダンスとは何か」という問いへの探求を通じて世界に唯一のハードコアダンス、ダンスの真髄であり本質を追及するダンスでもって現代における身体の在り方を提示し続けるダンスカンパニー  p112


『「出演者は一見全く無関係な存在であり続けているようであり、ディスコミュニケーションを提示しているように見える。ところが、多くのコンテンポラリーダンス作品のようにコミュニケーションの可能性を疑うことなく安易に関係性を持とうとする姿勢とは対照的に、コミュニケーションの不可能性に立脚した上で、新たなコミュニケーション=振り付けが生れる瞬間を描き出そうとしているのである。また、彼らの作品は現代の社会問題、例えば、精神的あるいは性的な虐待など、に影響を受けており、それらの問題に対する見方を変革しようとする試みでもある」』  p112


たぶん大橋可也&ダンサーズが標榜するハードコアダンスっていうのはやっぱり今日までの流れや出来事や社会状況などあれこれあって隠蔽とか馴致の状態に陥った人体を、いわゆる身体として特化したり研ぎ澄ましていくべくストイックに五体だけを使うということではなくて、彼らがやっているのは、大橋可也がやろうとしてるのは、いま、身体でもってなにをどうしたら訴えられるのか、どのように身体を開放できるか、身体が閉じこめられたり忘れられたりしていることをどうやったら伝えられるか、身体が閉じこめられたり忘れられている現状があるからこそ其れを逆手にとって表現し得るなにかがあるのではないか、そういったもろもろをやらなきゃならないんじゃないか、というテーマの探求だし探求の孕む可能性の追求だし  p113


し、しっし、あ、あ、ああ難しい言葉連呼したら口が痛くなってきたんですけれどってあの子ここでたしかちょっとイーイーと口角のストレッチで笑ってから  p113


身体を突き詰めようとしていくとき、身体そのものを徹底的に分析したり解析したり使用してみたりすることがやり方として一つあるとしたら、そっちからじゃなくって、彼らは、身体が、どこに、どうあるか、身体が、なにに、どのように、取り巻かれているのか、ということの確認から始めようとする、そういった認識のフェアネスというか誠実さみたいなものを忘れずに、身体の在り所と有様を見過ごさずに、身体の、ダンスの、作品を作ってるんじゃないかってわたしは思うのです  p113




(シー2ラック&20081228 ―― 大橋可也&ダンサーズ『帝国、エアリアル』に/黒川直樹)
http://gips.exblog.jp/m2009-04-01/