レポートではなくて散文としての『ジャパン×コートジボワール』

[text]ブラジルワールドカップ『ジャパン×コートジボワール


これはお話です。

                                                                      • -

2014年06月15日(日)  @alta_xxx

                                                                      • -

日本代表のブラジルW杯、初戦。

                                                                      • -

ドログバはベンチから
コートジボワールのFWドログバはベンチスタート。
アフリカ予選や親善マッチの記録を調べれば、「ドログバは先発ではないかも」とあてをつけられたはずだが、「コートジボワールドログバ中心のチームだからー、ドログバ見るべきだからー、ドログバ英雄だからー」ってストーリーが絶対かのように記事を書いたり、テレビを作ってた人たちは、いまどんな顔でこの試合を見ているのか。
シンボルを中心にしたドラマ語りは形式が出来上がってるし、それなりの脈絡も自然と出来るので多用されているが、このようにドログバはベンチからスタートになり、コートジボワールドログバ以降のチーム作り、アイデンティティを模索している最中だとしたら、あんまりにも実情と違い、それはジャーナリズムやレポートではなく、感想文であり、フィクションだ。


●試合開始直前
アップする日本代表の面々は緊張とやる気 ―― 期待と昂ぶりのいいバランスにある、ように見える。


雨が降ってピッチは重馬場だから、いつもならやらないミスも増えるだろう。
パスワーク主体の「スタイル」に影響は必至だ。
ゲームへの入りが悪く、コートジボワールに押し込まれてスタートすると、パスワークに欠かせないリズムを失い、元に戻すためにエネルギーも消費する。それは避けたい。開始15分の戦い方がいつも以上に大事になる。


彼らはどう戦うだろう?


今回の日本代表の(というか、多くの日本人プレイヤーの)性格からして、試合の入りは「慎重にミス無く、徐々にエンジンをかける。これまでやってきたことを正確に出す。相手のコンディションと、ピッチの状態と、自分の調子を確かめ、試合前に作ったイメージを修正する」というモードだろうか。
もし、試合が始まり、相手チーム ―― コートジボワールがもたもたしていたり、チーム状態がぎくしゃくしていたら、日本代表はそういう「試合への入りモード」を捨て、思い切って「相手は状態が酷い。一気に攻め立て、取れるだけの得点を狙う」と襲い掛かかればチャンスも増えるが、まだ、日本代表にそういった切り替えは期待できない。
強豪国は違う。
試合開始15分は「自分たち・ピッチ、相手の調子を見る時間」として使うだけじゃなく、その後の約75分間を決定づける ―― ゲームの支配権を奪取できる時間帯だ」という意識が、たとえばブラジルやアルゼンチン、ドイツには具わっているから、監督が試合前に言い聞かせる必要がない。


●90分を編集しよう
日本が、ここから一つ、二つ、レベルを上げ、W杯でもベスト8以上に入らなければ「今回の日本はどうした?」と周りの国から質問されるまでに「強豪国」と認知されるには、いわれている「スタイル」の構築だけじゃなく、試合状況と時間帯によって、プレーのモードを切り替える意識が欠かせない。
日本チームは律儀で真面目なので「パスワーク主体の、運動量のある、コンビネーションを軸にした……」というスローガンは、90分、彼らを一つの枠に収めてしまう。
ここを変える。相手の状態や時間帯によって、柔軟にやり方をあたらめる ―― それによって時間や流れに対して主体的でいられる。というか、この意識がなければ、いつまでも流れや雰囲気に追われ、従わされる。
まずは90分を時間帯に分け、そのタイムコントロールが自分たちで行えることを確認したい。時間を編集し、ゲームの流れをデザインする意識を積極的に作ることだ ―― それは「ボールを保持し、ゲームの主導権を握る」という言葉より、プレーへの解像度を上げるだろう。
これからのサッカーは、この「目に見えない流れや時間」をいかにデザインできるかが、勝利のための、「スタイル構築」のための、重要なファクターになると、おれは考えている。


●10:02:05 試合開始〜
はじまった。日本がボールを持っている。

びびってるのか?
慎重だな。
薄皮を内から引き裂いて、一歩踏み出す勇気を、誰がふるうのか。


●「試合じゃなく、選手の肉体やスタンドのファンを眺める」という楽しみ方
試合の白熱度だけが、サッカーの面白さじゃない。
ルールがわからなかったり、選手の顔や名前をしらないとつまらない、なんて、もったいない。
サッカーに興味ないひとは、いま自宅でテレビをつけてないと思うけど、ゲームや選手の身体能力なんてどうでもいいので、たとえば日本と試合してるコートジボワールの ―― 表情や体の動き、彼らを応援するサポーターの衣装やメイクを見ていると、なかなか面白いですよ、と伝えたい。
ミスしたり相手にやられた選手が悔しがるとき ―― たとえば腕を差し出す選手がいる ―― 手のひらを自然に上向きにする人と、手のひらを握り、拳を空中に打ち付けるように激しく上下させる人がいたりする。それは個人個人のリアクションとはいえ、なぜかチームごとに共通の「ふるまい」が見とれ、そのギャップ ―― チームとチーム ―― 国と国 ―― の違いから各国の文化や宗教観、身体的特徴が想像できたりする。アフリカとアジアなど、地域ごとに差がある、とも思う。
また、選手がダッシュする寸前 ―― まず体のどこに力が入れるかも、チームによって、国のある地域によって違って(脚の表の筋肉と、裏の筋肉、どちらを使っているかなど)、人間の動きは、ほんのわずかな上体の「ふれ」や、速足のつなぎ、体幹のしなりによって、その運動の威力や、動きにこめられるパワーの質が変化し、それらはダンスを見るときのヒントをくれる。
声の出し方にも「目」を惹かれる。選手が何かを怒鳴るとき、その怒鳴りのフレーズのどのタイミングで体のアクションがあるかに(腕を振る、頭を動かす、すこしジャンプする……)、そのチームのリズム感が宿ったりする。それは音楽を聴くときに、演奏家の体の動きや、バンド・楽団のアタックやフロウを察する役に立つ。
―― 連想ゲーム、想像力を喚起される瞬間。


ただ、一言書いておくと、スポーツとアートは全く違う。
似通っているところもあるが、根本的に違う。
ざっくり、あくまでもざっくりだが、書いてみれば、こうだ。
スポーツはルールの枠内に生じる。
アートはルールの外側にあって、あるいは、作り手としたら、ルールそのものを創造する行いであり、受け手とすれば、それを目撃する体験だから。
(「ルール」と呼ばれ、省みられずにいる「それ」が、産まれる瞬間に立ち会うこと、ともいえる)
だからスポーツはアートじゃないし、アートはスポーツじゃない、とおれは思っている。


あなたはどう? どう思う?


●本田がゴール
本田(笑)結果出した(笑)証明した(笑)すごい(笑)文句なし(笑)
(長友が左サイドから内側にペネトレイトし、ショートパス ―― これを本田が受け、受けた瞬間に一歩踏み出した勢いのまま左脚を振り抜いた。ボールはゴールの左上に突き刺さる、文字通り、突き刺さったように見える一撃が先制点となった)


本田、ふっきれたかな、これで、ちょっとは。
モチベーションの維持、自己像の確認と宣伝、信仰のためにメディアを利用する姿にも、その発言の内容にも賛同できない。なにしろ、彼は病気が辛いんだろう。首の手術跡(じゃなければ、なんだ? 手術じゃないのか?)についての説明も、大会後にあるだろう。それと、彼は自分で考えることを止めている。あの喋り方は、聞いていて心が痛い。彼は自分なりにルールを作った。ロジックを持って、反復を持って、自分に適したシステムを作った。その最中は、人間はクリエイティブになれるが、ルールを作り上げたあと、どれだけ必然性があってのルール作りだったとしても、そこに「現在」や「正体」を落とし込み、従い続けていたら ―― やがて自分で考える力は衰える。この、考える力が痩せたことと、本田の肉体が痩せたこととには、根深い関連があるように見える。
だが、今日は、このグッドショット ――
ブラジルW杯のプレビューで繰り返し放送されることになるだろう圧巻の ―― 本田圭佑のゴール。
彼はこのゲームで見事に結果を出した。リスペクトします。すごいショットだった。
(10:21:27)


いま押してる。この趨勢に追加点を取りたい。


―― どうした?
もっと、いけるだろう?


日本のバイタルにネガティブなスペースが出来てる。
このピンチに点を取られなかったのが幸いだ。が、このままだと危ない。
前の選手が攻撃を仕掛けているのだから、全体のバランスとして、失点の危険性が高くなるのはしょうがないが、ボランチ二人は、お互いの距離感と、CBとの位置関係を再確認したい。


岡崎、ちょっと重たいな。
前回W杯の悔しさもあって、彼はモチベーションも高く、キャリアハイをたたき出したあとのW杯だけに、自分で自分にプレッシャーかけすぎてないか、と尋ねたい。


心が重たかったら、絶対に、軽く走れない。


回されてる、ボール、コートジボワールの球回しだ。
彼ら、徐々にあがってきた?


とにかく失点を防いでいれば、コートジボワールは気持ちが切れがちなチームだろうし、ここは、どうしたって耐えなければ。


いやあバイタルつかわれてる
さっきからずっと、なんども。


岡崎がここまで引っ張られるって、日本の守備はあんまりよくない。
ディフェンスラインの、それも中央まで引きずられている、岡崎。
相手のFKも続く。
この日本代表はセットプレーの守備が課題なので、続くのはこわい。


あぶないよ


おいおい


あげろ、おしあげたい。押し込まれるまえに
吉田、森重。ラインー


日本、間延びしまくってる。
あぶない。
コートジボワールもくたびれてるから助かってる。このラスト五分がひとつの山場。


たまぎわ。寄せないとダメだ。あいてに1mのスペース許したら、それは決定的な仕事されるよ。
(10:44:58)


(スペイン×オランダ、1-5、なんだったんだ、あのスコア)
(そういえばデルボスケの、スペインの監督のあんな顔 ―― タコ親爺顔、はじめて見た。レアル時代も一度もなかった。太ってるのに動かないという、人体なのか彫刻なのかわからない、不動のイメージがあったので、よけいに驚いた。タコ親爺顔だった)
(このゲーム……うちのREC機械が誤作動だったのか、番組表の時間が急に変わったのか知らないが、録画できてたのは後半の35分から45分の10分間で、ロスタイム途中で事切れた! いったいなんだったんだ! やられたよ!)



走れなくなった日本は、飛べなくなった豚みたいなもの。
赤は血の色。
とくに意味は無い。
誰もいない浜辺でラジオ聴きながらワイン呑んでる、いま。


だめだよ、あぶねえよ


前半おわった。


●ひと山は越えた
前半のピンチ ―― コートジボワールが前線に人数かけてこなかったから助かったようなもの。
日本はなぜか動けない。バイタル、サイドの深いところをコートジボワールに使われすぎてて、このままじゃ、こわい。
チームの攻撃のダイナミズムを練り上げる役割を担ってきた、左サイド ―― 長友と香川の連動は見られず、岡崎のフリーランを中心とした、右サイドの垂直的なアタックもほとんど作りだせず。
守備、距離感、攻撃の連動性の乏しさ、選手の戸惑い、覇気に欠ける様子、前線と守備ラインまでの間延び感、いまいちピンとこない「なにをしたがっているのか」という共通意識 ―― 後半に向けての課題はたくさんある。


ザック、どう修正する?


日本の生命線、体力が尽きかけてるように感じられ、なによりもこの点が怖い。
まさかだろう。
走れなくなった赤が豚だ。
(10:48:25)


●移植を断る権利もある
さきのツイート ――
「日本チームは律儀で真面目なので」というのは、別のアングルからいえば、「日本チームを構成する選手たちは、ざっくりとした記述になるけど……心の在り様に、ヨーロッパやアフリカ、アメリカ人のような“自律性/自意識/自信”が根底にないため、いざ何かと戦おうとするとき、規律や規則、集団性と一体になろうとする」ように見えるという意味だ。


でも、だから日本は幼いとか、後れているなんて、ぜんぜん違う。


「自意識/自立/自信」は、いわゆる欧米の影響を受けた考え方 ―― 臓器移植のように輸入された概念なんだとしたら、日本が、突如「個」に目覚めたわけじゃなく、そういった概念があるという事実を前に、なびいたり、つよく影響されたり、それまでの生き方をがらっと変えた人がいたんだとしても、そういった傾向が弱くない国民が多数いる国だとしても ―― それはそれ、「個」が心の傾向を規定し、そうなるように教育される風土がある欧米から眺めれば、そりゃ「日本人には、それが無い」って判断されるだろうが、だからなんだ? 別に欧米がいう「個」こそ、人類が目指すべき唯一の視座じゃないだろう?
「個」とか「自立」なんてない場所に、それでも生きてる人たちの間でなんらかの共有されるものがあり、文化があり、世界があり、暮らしがあった場所に ―― 「自信とか自意識とか確固たる個」みたいなフレームを持ち出し、押し当て、その色眼鏡でもって「ほら、おまえらには/われわれには、それがない」なんて、馬鹿にしたり見下すなんて、言いがかりじゃないのか。


これまでの日本代表チームが「規律や組織」に依拠していたとしても、その点を、おれは批判しない。日本に、日本選手に、ヨーロッパや南米の選手のような「自律性」がなかったとしたら、ああ、それは、そうなのだろうが、そうなる理由があり、脈絡があったはずだ、日本には。
それを考えることなしに、欧州や南米の強豪国を「理想のモデル」とし、「絶対の正解」とし、その価値観を頭ごなしに押し付け、日本代表を判断する ―― 断罪するのは間違っている。
たとえ、「個の意識」に目覚めたうえで連動しないことには、W杯で結果が ―― 勝利が得られないとしても、だ。


ただし、サッカーは、自信やプライド、個人という文脈に依拠した「欧州」を主フィールドに展開し、深まってきたスポーツで、現在、いってみれば血液が心臓に流れ込んでくるかのように ―― 世界中の優れた選手が「欧州」に送り込まれている。サッカーにおいては「欧州」こそが最激戦区(聖地とは違う)だ。
なので、いま、日本が、日本人が、このスポーツで成功しようと思えば、欧州で暮らし、育ってきた連中が重んじる(彼らの心にインストールされてる)「個」の問い、その目覚めに直面せざるを得ないし、日本で暮らし、日本で育ち、それについては違和感がなかったサッカー選手が海外に出れば「彼らと自分とは、何かが根本的に違う」というショックから逃れられない ―― という現実は、中田英寿ペルージャ移籍以降 ―― 欧州でプレーする夢を叶えた選手達のコメントから察せられる。


>>
@ama2k46 丸山眞男みたいだ。
『もし丸山眞男サッカー日本代表監督だったら』って本、どうだろう?w


>>
@alta_xxx 丸山眞男さんが、そんなこと書いておられましたかww
ルールを厳守し、でもときにルールに殺される日本チームの性格を見抜いたのが、個のプライドがベースにあるイタリア人のザッケローニという監督で、最後の最後で選んだ日本人選手が、いわゆる日本人ぽくない、枠を壊す選手だった点も面白いですー


>>
@ama2k46 さっきからの日本サッカー分析は、「規律に頼るのもしかたがないけど」ってところも含めて(丸山自身も違うよって云ってるのに、今も丸山をヨーロッパの基準を日本に押し付けるヤな奴と思ってるひとは少なくない)めっちゃ丸山っぽいw


>>
@alta_xxx 40年、50年前の分析に、いまの日本代表の姿が透視されている! 押し付けかあ。どれだけ勘違いされようと、丸山さんが、ぶれずに外から見続けたんだとしたら、それをさせることになった動機の凄みを感じます。


>>
@ama2k46 外の眼もセッティングしたあと、ずっと内側から見つめ続けた、って感じがします。丸山は。


>>
@alta_xxx ああ、そうか! いったん外で、それからはずっと内からだったとは。痺れる。
と、エウレカにうたれたが、それだけで終わらせず、いつかamaさんに尋ねられるように、読んでおきたい。


日本、ぜんぜん走れない。どうなってるんだ。ザック。なにやってきた
(11:21:25)


森重、なかに入られたらだめだー


本田、おもたい。


コンディショニングが最大の勝因になるってあれほど言ってきたのに。
なんでこんなに走れないのか。
走れないんじゃ戦術論もなんも意味をなさない。
サッカーは頭を使うが、スポーツなので、体が元気じゃないと、事前に用意してたものは、役に立たない。


バイタルとサイドにスペースを与えすぎてる。
コートジボワールはサイドに蹴り込んでればイージーな状況で、とても戦いやすいだろう。
このままじゃ自由にやられる、日本。


おいおい、どうした。


威勢のいい台詞、吐いてただろう?


重たさ、愚鈍さの果てに、人体や社会のはるか手前にある核心と結びつき、一体となるなんていう、ベケットの境地にたどりつくには、50年はやい、本田。はしれ。あるくな。あるくなら交代しろ。


ウルグアイコスタリカに……負けた? しかも、1-3で?)


コートジボワール、一点、そして二点目を取る
まだ20分はあるよ。
コートジボワールもぜんぜん調子よくない。交代を含めてチャンスを作り出し、ゴールを取るだけ。いける。どうしても勝ちたかったはず。


いいよ、本田。いまの粘りだよ。


●アフリカのライオンは群舞しない
ここからW杯の面白いところの話しになるんだけど、W杯はヨーロッパのクラブが参加する大会ではなく、世界中のチームが集まるので、そして、チームもその国の国籍を持ってる人間で構成されてるので、リーグレベルなら強いられる欧州化の影響を、受けてない(逃れてる)国があったりする。


今回のブラジルW杯で顕著なのが、アフリカのライオンことカメルーンで、カメルーンはいまだ国内で部族間の対立が激しく、練習中も口をきかない選手同士の様子がレポートされたりするのだが、この国の人々は、たぶん「和」という概念を知らない、もしくは、知っているが、重んじない。強い肉体を全面に出し、コンビよりは単騎で相手を倒そうとする。だからサッカーをプレイしても「組織」が表に出てこない。調子が悪ければ、即、バラバラだ。そんなカメルーンがW杯で結果を出すには、とんでもない資質を具えたプレーヤーが、伝説になるくらい活躍する以外、たぶん、ない。
今回のカメルーンチームも、いまのバラバラの状態で、試合についてもいまのやりかたで行くなら、リーグ戦で敗退すると思う。それは、いわゆる「W杯の結果」から見れば、カメルーンは失敗、と判断されるだろうが、カメルーンは、カメルーン人としてのリアリティを、現実感を、生まれ持った性格を、なにも現代のサッカーに、W杯の成功モードに同期させる必要なんて、実はないし、そんなことを強いる権利は、誰にも無い。W杯の優勝国、その選手、その国民にだって、ありはしない。


ヨーロッパ的なサッカーで結果を出すなら、W杯に勝ちたければ ―― チームをある程度は組織化し、連帯感をつよめ、連携したり助け合うしかない、それはセオリーというか、最低限の備えだ。団体スポーツで、バラバラじゃ、勝ち星すらおぼつかないんだ。でもカメルーンカメルーンでいい。部族間の軋轢なんて、カメルーン人や、よっぽど詳しく学んでる人じゃなかったら、いきさつなんてわかるはずないし、つまり、想像だって不可能だ ―― おまえのじいさんが、おれのばあちゃんを殺したんだ、みたいな、おまえのひいじいさんに、おれのひいじいさんがやられたんだ、みたいな、そういった憎しみの連鎖にあるのかどうかもわからないが、でも、もしそれに近い歴史があり、清算だって納得だってできていないのなら、それがどれだけのストレスになるか、チームとしてまとめられることに違和感があるか ―― わからない人間に、なにがいえるだろう ―― その点を無視して、ただサッカーの観点のみで、「おまえらW杯仕様になってない」と笑うなんて、こういった国際大会だからこそ、控えるべきではないか。


安易に「サッカーを巧くやる=ヨーロッパっぽくなる」というスタンダードに乗らないカメルーンが ―― まとまれば凄いチームになるだろうに、いつもお金の話で揉め、高いプライドでぶつかり、バラバラのままで、しかし、時々目が覚めるプレーを見せてくれる、アフリカンリズムのチームが、おれは嫌いじゃない。


そうだ。
長友、まだ走れる、時間もある。
弾際にフルパワーでいこう。そのディテイルがゲームの質を決めていくんだろう?
思い出そう。
(11:31:34)


攻撃に手数をかけるより、前線に人数を入れたい。このコンディションじゃ厳しいだろうが、山口や遠藤、両SBの攻め上がりと、波状攻撃をしかけたい。この時間帯から、その迫力が出せるかどうか。


まだいける。クサビが入れば、なにか起こる。
必要なら横パスもありだが、縦への意識を徹底しよう。
パスは、コンビネーションは、あくまでも手段。目指すべきはゴールだ。


いいよ。いまゴール付近に7人はいた。
これ以上の失点も絶対に逃れたいが、守備はCBの二人に任せるしかない。
もうひとつ、もうひとつ、前に仕掛けよう。


守備はタフに、シンプルに。攻撃はねばりづよく、しぶとく、なんどもなんども。


●日本、1-2で、コートジボワールに負ける


●どうしてこんなに走れない?
●チェックにもカバーにも、こぼれ球にもダッシュしない
ザックはW杯直前のインタビューで「コンディションの重要性は理解している」と言ってたが、この走れなさ、コンディションの悪さは、なんだ。
日本選手が連呼してた「スタイル」の徹底もままならず、試合の終わりには、うぐ……なんて皮肉だ ―― これこそ惨敗だ、ザックが「日本には合わない。高さは捨てる」と切り捨てたパワープレーに頼るしかなくなった。


コートジボワールがよかったなら、まだ気の持ちようもあるが、今日の彼らは、それほどじゃなかった。
すこしマークがずれ、先に走りこまれてしまい、体重移動の隙を突かれ、2失点した。
日本は、ここから修正点はいくつもある。 ―― が、そういうところより、走り回れなかったので勝てなかった、という単純な話し。
(11:56:41)


コートジボワールにシステムの質の差で負けたのか? 
技術や体力が劣っていたから? 
いや、長谷部、「我々が未熟」とかいう状況じゃない。
シンプルに、エネルギーが蓄えられているか、ブラジルの気候にフィットできてるか、そのための準備をしてきたのかが問われていて、戦術論でどうこういうレベルにない。
いや、一点差の負けで突き放されなかったことをポジティブにとらえ、もう二試合、どちらも勝つ。
ザック、あなたはブラジルから走って帰ってくるとして、ここからは体調のいい選手を優先してほしい。


(と書くのだから、おれはあなたたちがW杯前に「今回はスタイルを貫くために参戦している」と口を揃えた、あれを、まったく信じていないんだ。
あなたたちは、「スタイルを貫く」という言葉の意味を、あまり考えていないんじゃないか?
スタイル、それは「勝利」に結びつかないだろう、直結しないだろ ―― それはなぜかっていうと ―― と訴えられたとき、それでも、あなたたち日本代表は「勝つより、やっぱりスタイルの徹底を」というだろうか? おれはそう感じていない。
あなたたちは、プロなのだし、負けず嫌いだろう。じゃなかったら、その舞台に立てなかっただろ?
目の前の相手に負けることが、根本的に嫌だろう ―― 格上のチームには、時には守りに守って、一点もぎとって勝つ、それしかないじゃないか。そうやって、一試合一試合、勝つようにやってきたんじゃないのか。考えるより、直情で、負けるのが嫌だった……違うか?
とにかく、試合に勝たなければ、生き残れない世界のはずだ。
「スタイルの徹底」は理想に過ぎない。
「理想を追う」姿に感動するのは、理屈でねじれてしまった大人だけだ。あなたたち日本代表が、もっとも大切にしている相手はいまサッカーをやってる/これからプレイする子供たちの存在で、彼ら彼女らは、おれが思うに、あなたたちが「理想を追う」姿にはうたれない。彼ら、彼女らは ―― あなたたちの「理想とする」スタイルが具現化し、国際舞台の厳しい試合のなかに実際に「繰り出さ」れ、かつ、それが美しく、そして、相手を倒すだけのつよさを見せたとき、心から感動し、「いつかぼくも、わたしも ―― 」とエネルギーを燃やす。
違うかな?
おれ子供あんまりよく知らないから、見当違いなのかもしれないけど、そんなふうに思ってる)


日本代表は、とにかく心身のコンディションをあげることに専念しよう。チャンスは充分に残っている。
今回の日本は走ることができなければ ―― いや、走ることさえできれば、可能性があるチームなんだから。
「強い」とされ、ふんぞり返っているチーム、なんてW杯に一チームもないだろうが、下馬評を覆す快感とは、見下された者にだけ与えられるボーナスだ。「まだまだ三下」と軽蔑され、差別されているのは他でもない、ヨーロッパでプレーし、国外のチームと試合をしてきた、あなたたち自身だ、という憂き目を思い出そう。


暇つぶしにはなるかとRECしてあった映画『ホール・パス』が予想を裏切って笑わせてくれた。いま16時ころかなーと時計を見たら18時になるところだ。
W杯初戦 ―― 日本は負けたらきつくなるとわかっていて、それで、さっきコートジボワールに負けたんだなーとじんわりくる。
東京の快晴は梅雨の晴れ間で、一週間くらいは、こんな陽気らしい。







ブラジルワールドカップ『ジャパン×コートジボワール