明晰の夜?インフォ。明晰ペーパーで鼎談した。ゴダールシンポ。

……いやあ梅雨ダメだぁ……フられるつもりンときの雨は嫌いじゃないんだけどさぁ……ってヨレてたら猛暑っていうか湿気も日差しも酷いくらいのアレなんでモーこいつは酷暑だね?だから一緒にピザつくろう。冷やしてあったビールをこっそり抜き取って後から頬にあてて驚かせよう。そして赤らんだ肌をもっとたまんなクなるよーにインドネシア出身のイ・チャーイ・チャ君に倣って真昼の太陽を溶かすくらいベタベタしよう?ってなわけで「明晰の夜ペーパー」(と呼ぶのかしら?)の企画で「大橋可也&ダンサーズ」をテーマに作家の檀原さんとダンサーの江夏さんと鼎談しました。


檀原照和
「土地にまつわる習俗」をテーマにした作家。2006年に夏目書房より『ヴードゥー大全』を、2009年に『消えた横浜娼婦たち』(データハウス)を発表。大橋可也&ダンサーズへは一作目と三作目に参加。
http://www.cyzo.com/2009/07/post_2288.html

・江夏令奈
大橋可也&ダンサーズのメンバー。1980年生まれ、早稲田大学第二文学部卒。在学中、和栗由紀夫と出会い師事する。様々な舞台を経て、2003年より大橋作品に多数出演する。現在第二子妊娠中のため、ダンサーズ活動は産休中。

・ 黒川直樹
「誰だ!なんだ!この作文は......」と哂った教授が秘密枠での誘いを決めてくれたことで入学が叶った大学でデザインと書き物を始める。水木しげるゴダール村西とおるを尊敬する現代詩のトリル。


「明晰の夜/明晰の鎖」ペーパーはイベント当日(7/18)より各所でリリースされるとのこと。鼎談なんつーオフィシャルな相席にカマトトぶりたくなるヤらしーヌイグルミを破り捨てるため黒川はいつもの半狂気ナラティブで三遍回って「ナ!ナ!ナ!」と鳴かざるを得なかったんですけれど、檀原・江夏の両氏はそれぞれの立ち位置から考察と情感を聞かせてくれました。そして「大橋可也とは、大橋可也&ダンサーズとはナニモノか、もしやナリモノか?はたまたワレモノであるかという謎ならぬマゾもしくはサドであるかどうか」を磔に処す夜までに極東の魔女を唆すべく袖の下に隠すは干し蛙、蒸し蝙蝠、燻し蛇、それと土曜の夜の媚。




「明晰の夜」

コンテンポラリーダンス界の極北をひた走る大橋可也&ダンサーズが9月に吉祥寺シアターで上演する「明晰」三部作最終作に先立ち、豪華ゲストを迎えた「明晰の夜」を2ヶ月連続開催します。第一夜は木村覚をモデレーターに、演劇・現代美術界の鬼才、飴屋法水、「ランボーの末裔」こと映像作家、大木裕之と大橋可也によるトーク、一般販売も間近に迫った『明晰の鎖』映像版の上映、トーキョーワンダーサイト主催「EXPERIMENTAL SOUND & ART FESTIVAL」で特別賞を受賞した「ゾルゲルプロ」のガラス製自作楽器「クナイフ」や不定形な物質「スライム」を使った演奏と大橋可也&ダンサーズのダンサー多田汐里によるパフォーマンスに、12年の沈黙を経て精力的に活動する奇才、障沂エ恭司と注目の若手写真家、鵜飼悠による展示を加えてお届けします。

トークレディメイドとしての身体」:
飴屋法水(演出家・現代美術家)×大木裕之(映像作家・現代美術家)×木村覚(美学・ダンス批評)×大橋可也(振付家
上映:『明晰の鎖』映像版(監督:古屋和臣)
パフォーマンス:多田汐里+ゾルゲルプロ
写真:鵜飼悠・障沂エ恭司
障沂エ恭司写真集の販売もおこないます。

【日時】
2009/7/18(土)19:00開場/19:30開演

【料金】
2,000円(1ドリンク付)

トーク、上映、パフォーマンスの順。終演は22:30を予定しています。
*来場者には「明晰」三部作最終作東京公演の割引特典があります。
*「明晰の夜2」は8/22(土)に舩橋陽と大谷能生によるライブを中心に開催します。

【会場】
UPLINK FACTORY
東京都渋谷区宇田川町37-18トツネビル1F
tel: 03-6825-5502


ゾルゲルプロやばいよ!
スライムとバブルとエキタイの遣い手はアーバンでユニセクシュアルな現代の愛しき魔女と魔男であるけれど、二人がアヤカすカルナヴァルにおいて、霊魂と肉体がいつだってユニゾンしている多田汐里はどのように踊るのか。




それから7月25日はゴダールシンポ。

インフォはCINRAに詳しいッス。
http://www.cinra.net/news/2009/07/15/152954.php


佐々木さんと能生さんだったらマジありボケありナミダありのゴダールトークになること必至なんだけれど、その2人を分けてイベントに登用したナイス企画者。それに、ここのところ佐々木さんは「エクス・ポ2」の企画などあって宮沢さんと何度も会って話しているみたいなので、挨拶や前置きなしでゴダールをテーマにしたハードコアなトーク期待でるかしら?佐々木さんはそういえば新著「ニッポンの思想」が出たばっかりだけれど浅田彰から東浩紀まで語り上げる中に本人の章がない。いや、著者だし……内容からすればそりゃそうなるだろ……という声が聞こえるだろうがそうでないのだ、この不在……この目撃性……この語り部としての表れ……などなどはササキアツシネスの注目すべきフラグメンツであるという深読みをさせるユニークな全八章をもうちょっとしたら読ませてもらおうと思っている。かたや能生さんといえばダンスユニットの「ライン京急」でテンマもしくはカリガリもしくはジキルへのオマージュ&トランスを企てる博士としてラップトップを叩いているけれどパートナーである山懸太一の「ひらく会議」における様相ったらサイコーだった!ああ、この人トボケててよいなあ、いまどきパルマのジャージを着て来るところだけでぶっ飛んでクールじゃないか!と眺めていたのだけれどもしかしたらあのピントがズラされた笑わされてしまうコメントとかその抑揚とかっていうのは狙われたものじゃなくって本人は大マジなのかもしれないというわからなさもミステリアス。そしてチェルフィッチュ演劇にあたらしい観点をもらった。だって山懸さんの喋り方がチェルフィッチュのステージでセリフを喋る人そのまんまだったからだ。なるほど舞台上でのあの台詞の抑揚だとか旋転っていうのは岡田演出だけに拠ってるんじゃなかったのかーって結論づけるのは早いよなと思うのは、だってもしかしたら「……って話し方とかリアクションとかするとチェルフィッチュのああいう感じを変奏できてよいかも、しかもそういうことやってるっていうのは俺にしかわかんないことだからキャラ立ちまでやれちゃうなんて日常がそのまま演劇みたいで生きてて面白いかも」みたいな遊びとして山懸さんが「ひらく会議」のパネリストを務めたかもしれないじゃない。んー次々に思い出されるが初対面だったっぽい手塚さんのベイビーとのあのマブっぷりったらどうだ。立ち上がったベイビーがヨチ、ヨチ、ヨチ、と揺れ出したのを追いかけて扉から出て行ってしまったんだった。なんてこった。
ダンスについて……和栗さんの舞踏ワークショップや大橋演出〜コンテンポラリーダンスのメモだとか「ひらく会議」のことは何処かでまとまったものを書くつもりなんだけれど、「ひらく会議」に集まったダンサーの椅子の座り方ってどんなかなって見渡してたんだけど意外にもみんなそんなに堅苦しそうでもなければ違和感なく腰掛けてらしたが、手塚さんはパイプ椅子に胡坐をかいたりベイビーをあやす際の身のフリの流れがなんだかチャーミングだった覚えがあることをメモしておく。あと「私のからだは、どうしたって都市型のリズムなんです。都会に造られてきた。それを、田舎に越して改めて自覚しました」と手塚さん。山懸さんのコメントがどれだけパンチ力あったかは参加した人だけの秘密だね。「最終日を設けなければ公演は終わらないからいつまでも続けられるってことって気付いたんですよ!」なるほどそれって生きてくってことだった。

あー。っにしたってピザ喰いたいなぁ。