あー忙しかった。


ご協力いただいた諸氏と、
ご来場くださった皆様に感謝です。
ありがとうございました。
今回、来られた方も、来られなかった方も、
次のototo詩でお会いできますよう。


――


20:30まではマッタリし過ぎた。
それからは忙しくなってしまった。
写真撮れず。


はじめて話せたK籐くんが
「小説家のクロカワサンですか?ああ、はじめまして」
どーもです。
「インフォ読むかぎり、すごい固いイベントって印象だったです」
と言ってた。
「なのに来てみたらぜんぜん違った(笑)」と。
そうそう。ラフな音と詩のサロンなんだよ。
まったりしてくれたらうれしいな。
その語尾に
「でも来てくれてありがとうね、“長嶋”くん」
と添えて。


長嶋くん。


泰信から、彼が「K籐」くんだったと聞いたのは打ち上げに向かう途中。
つまり、なぜに彼は訂正してくれなかったのか、という告解のリバーブ


トークにきてくれた唯君も剛君も
経験だけでも時間たっぷり話せるところ
毎日の仕事で時間ないなか
それでも事前にたくさんの調べ物と考え事をしていた
泰信は音楽が専門で かつ何でも詳しい
おれはエレクトリックな音楽についても
武満さんにしても高橋さんにしても
ぜんぜん詳しくない
だからって遠慮したり卑屈になるのは無意味なので
気を強く持って貴重な機会に立ち会えることを喜び
当日にいろいろ教えてもらえるのが楽しみだったし
じぶんなりに精いっぱいをやれた


ピアノ・ミニアコーディオン・音読の
即興セッションについても
剛君・泰信の才能が、
彼らの演奏が聴かせてくれる音としてだけでなく
共有してる場から込み上げてくるのを感じ
そこに じぶんが発する声や音が絡まりあって
さらに ふたたび体のなかに戻ってきては形をかえて出て行くような
渦、流れ、巡りにあって
あざやかな時間だった
音と気だけをたよりに
互いの心理や状態を察しようと集中する即興の時間は
どれほど繊細に果敢に言葉を費やそうとも
会話的なコミュニケーションには生じない
そんな感度のクオリティがあった


とかく考え事にぐるぐるしている頭の中も
あの時間の最中にカラになっていたような


ただ、トークにしてもセッションにしても
もっとやれるはずなのにという歯がゆさはあって
彼らに準備してきてもらえた事柄の
そのどれくらいにおれは光をあて
膨らませられたんだろうか


勉強と実践をつづけたいな


剛君も唯君も、泰信も
書斎派のような実作の時間に長く生きているけれど
ときが来れば部屋を出て音楽を通して思うところを発信し、
みずからの身体をもって行動してる
人と人を結びつけ
可能性のハブとして存在している
おれは、
彼らのそういうところに信頼を感じさせてもらうし
こころから励まされる


「音楽家」という三文字に
あらたな心象を描かせてもらう


おれは「いまなにしてるの?なにをしている人なの?」と聞かれれば、
内実、「小説」ってなに?
読み物であるってことくらいしかわかってなくない?
と思いつつも、
ついつい「小説を書いてる」と答えてしまうから、
小説家って呼ばれたり紹介されるのは、
自分が招いてること。そりゃそうだ。そうでしかない。


しかし 肩書き? 要るのか。
おれは要らないよな。
なくていいもん。


そういうの、なんて自称していいのかわからないっていうのが本音で、
ときどき紙物のレイアウトやイラストもするからといって
横文字も苦手だしデザイナーっていうのも恥ずかしいやらで、
ときどき、いや、よく困るっていうか、固まる。
よく固まってる
なにかどうしたらいいかわからなくなると
固まってしまう
ほぐしても 解決してない事柄なので また固まる


もちろん、自分の可能性や責任を考え抜いて
それを意識的にどう方向付けをして、
どのように目的意識を立てて、
どこへぶつけていくのか、
なにをなそうとしてるのかってことから、
呼び名なんておのずと明らかになるし、
ときには積極的に打ち出す必要があるとかは、
なんとなくわかるし。
気概をもって自分を立てている人もいる。


おれのやろうとしてることが、
「小説家」って言葉のニュアンスにまとめられるのかっていうと、
ぜんぜんちがっていて、
会えば励まし合える頼もしい仲間たちに教わりながら、
自分なりにこの三文字の信託を書き直したり捉え直してはいるけれど、
まだ言葉としてなんにも言い得ないし、
書きあげなきゃならない作品がどっさりあるし、
途惑いや、恥じらいや、世迷いもすげー一杯あって。
ただひたすら部屋にして書き物だけしてるってことが、
おれは出来てしまう、そのように過ごしていて苦痛がぜんぜんない、
出かけたいとか人に会えなくて苦しいとか無いんだと、
痛感できたこの三年にわたる書き物暮らしは、
だからこそ、おれそうしていたらいけないと、
警告してくれているようで。


居心地のいい場所を捨てるわけじゃない。


苦手だったり得意ではないことをはじめ、
じぶんが最も初心者であれる場に行くこと。
そのように要られる事柄を、
みずから試みていくこと。
それが、なんか必要な気がしている。


文体を整える修練を積んでるわけじゃないのに。
やたらと技巧めいていく文章に嫌気がさす。
なのに気づくと細かな単語の配りだとか、
構成の隅の隅をつつくような作業に没頭している。
羽生さんは「大局を感じながら将棋を指す」ってどこかで言ってた。
そういう種類の集中力について勘所をつかみたい。
天才だけにできるなんて考えたら萎えてしまうしね。


ototo詩というサロンだって、
じぶんにとって必要だから催している。
ただし、来てくれる人にとっても、
時間の、機会の、
なにか、どこかに、
きっかけやヒント、
楽しみのある時間を過ごしてもらえたら、
なんも言うことないんだ。
精いっぱいアイデアをだしたいわ。


なんでもやってみようと思ってる
昨日は見当をつけていた数よりずっと少なかったけれど
ああやって人が集まってくれてうれしかった
「初めまして」のあと数時間で
むかしっから友達だったみたいに
ワイワイと酒を飲んでいたり
議論に花が咲いているのを間近にすると
興奮と幸福がある
やってみてわかったことだらけだ
もっとよいものになるって思えた、ほんとによかった


小説については自分なりに流れと行く先を感じて、
その途中として今があって、
なので肯定感と問題意識とがあって、
これらもろもろについては誰に何の説明もしてないし、
どこかで語る機会も、
いまはその気持もぜんぜんないのだから、
この状態で現在の様式や作品について何か言われても、
ほとんど気持が動かない。
「いいね」と言われればば、
ああ、この人の人生が退屈で失われずに済んだんだ、それはよかった
と思ってほっとするくらい。
「わるいね」については、
そのときどきで、参考にさせてもらうこともあるけれど、
落ち込むことはまずない。
これが、
なにかを感じなくなってきているとか、
自意識が太ってきてるとか、
尊大に不遜になってきてるみたいなことなのかどうかは、
よくわからない。
まあたぶん、
もしおかしな方向に進んでるんだとしたら、
どこかで、何かに、誰かに、
強烈な一撃を喰うだろう。
そんとき痛い思いしたらいいか。
案じるより動こうと思う。


昨日のトークもよい経験になった
ちくしょう
ユーモアとエスプリが欲しい


いちど自分でやってみると
「もっと面白いこと言ってよー」とか
「なーんかこの人の話しってあんまり楽しめないなあ」と
これまで突き放してきた人たちについて
感覚があらたまって、そこもよかった
まるでひどい二日酔いみたいになる
他人への批判的な言動にも
より気をつけられるようになりそう


朗読は毎日やっていたけれど
読めば読むほどむずかしいとわかってきて
人前で声に出すと
稽古の半分も表現できない
詩人の河村さんが
「40年たって、やっと読めるようになってきた」
と呟いたらしい
こないだ泰信が教えてくれた


きのうはチュツオーラの「やし酒飲み」を
5分間くらいのダイジェストにして読んだ
そのあと何人かから
「あの本なに?」
「自作?」
「面白いね!」
と言ってもらった。
じぶんの文章を褒めてもらうより、
よっぽどうれしかった。
チュツオーラの「やし酒飲み」は最高すぎて、
ちょっとやそっとじゃ教えてあげたくないくらい、
ほんとに最高すぎて、
でもついつい読んでしまった。
チュツオーラは鍛冶屋になりたかった。
あんなにすごい小説を描いてもなお、
その憧れはなくならなかった。


おれは小説家っていう綴りに憧れはないし、
それをとりまく環境についてもおなじだけれど、
じゃあ「小説」についてはどうなんだろうか。
憧れてませんなんて言えないな。
このままでいいの?
なんか、そうじゃない気がする。
どうやったら、どういたら、どこにむかったら、
いまよりも、よい書き物がやれるのか。
憧れてるほうが、いい物書きでいられるんなら、
しがみついてでも小説に憧れていよう。
でも、たぶんそうじゃないんだろう?
「なにが小説か、どれが小説か」
それが
「わかんない」んだ。
憧れてられないっていうか、
対象が、そこに、ないってことだ。
それでいて、憧れていられるっていうのは、
おかしな話でさ。


じぶんの性格も、生活も、文体も、
これから変わるだろう。
いままでだってそうだったから、
これからも、えんえんと、
かわりつづけるんだろう。


唯くんがototo詩を記事にしてくれた。
http://yuionodera.blogspot.com/http://yuionodera.blogspot.com/
おれに殺意を抱く女の人たちにとったら、
マトはいまこんな風貌なのだという絶好のアドバイスになろう。
こないだ全身を整形したんだ。
命の危機に全財産をはたいて、
髪を切った。髭を剃った。心も均したよ。
そう。ただ、やっぱり許されちゃならないのだと気づいたよ。
散々をしてきたのだものな。
ここに打ち明ける。
唯君の記事の、終わりの写真にカメラ目線でうつっている色白の端整な短髪の男がいるだろう?
それが黒川直樹だ。


T内くん。
なあに、切り付けられるとしたって痛みは刹那だし、なにごとも今朝に君がうなされた悪い夢のつづき。
この身代わりは、泰信の部屋で君が枕に替えた、おれの膝の代金だ。
踊ろう。