切ったぜ。


「ホスト?(笑)」
って言われた。
おまえホスト嫌いじゃんかよー。
それなのに、なんだよー。
かっこのなかの「笑」の口元が笑ってないの見えるんだけど。
やだなあ。なぜにそう見えるのん。性根かあ。
かっこう、かっこう、かっこう。
なんか鳴いてやがる。


なにって石居さんの絵だよ。たまたま見っけた展覧会(http://bit.ly/gef01b)だった。あんとき、むかーし盗んだバイクでよくよく居間を走り回って迷惑かけた罪滅ぼしと思って、かーちゃんの記念ギフト探しに池袋のハイブランドまわって、奢り高ぶりの激しすぎるスタッフにげんなりだったとき、通りかかったんだわ、西武の六階。初日だったこともあって石居さんが在廊されてて、作品を見ていたらいろいろ浮かんだので、ご挨拶とお話させてもらって、いやー貴重な言葉の数々、いただいちゃっていいんですかってくらいだった。帰ってお礼しようとWEBSITEにアクセスしたら、な、なんじゃこれは……そのクオリティに圧倒される。展示されてる作品も凄いけれど、今回は都会の夜景がモチーフなので、全体に的に深い青と紺が基調だったこともあって、WEBに掲載されてるオレンジや黄色のカラーリングで、ほとんど現実の景色と変わらない視覚の立ち表れに意外性と神秘を感じた。いや、ハイパーリアルの絵画にはあんまり興味ないです。そういうことじゃなく、彼女の絵には明確な「情景を写し取ったことによる換骨奪還」が感じられるってことよ。眩しさなんて、ひょっとしたら日常生活の射光より強いかもしれない。それから、ご本人の人柄もあるんだろうけど、あれだけのキャリアを積んでこられてるんだからプロだから絵の技法とか画材とか詳しいはずだけど、絵について話してくれる言葉の中に、ジャーゴンがまったく出てこない。そういうところも魅力だった。ほんと、こういう機会を得られると、一体なにが美術や芸術についての話をつまらなくしてんだよって思うから、まずは自分自身から始めないと。あー励まされる。「うう、う……あのー、うまいですね」って漏らしたら「え? ああ、そうですか。はははは、忘れてました、そういう絵の見方」って笑われた。なんだって描けちゃうところまで行った人は、で、何をどう描くかだろうし、まあ、そりゃそうだよなあ。生きてて目にする景色のなかに「単なる風景」なんてないんだけどさ、そんなスレッカラシの思い込みは棄てよう。ただ、彼女のように絵を描ける人の作品が、人の心に「あーわたしが見ているのって単なる風景なんだなー」という嘆息を挙げさせてしまう、なんという官能的な矛盾なんだろう。
みたいな理屈止めようって言ったばかりじゃねーか!


で、絵だよね。うめーなあ、絵描きってすげーっていうさ。この話したくないんだけど、会うたび「美大の教職ってなんかの手違いだったんだろ早くゲロって楽になんなよ」って弄らせてもらってる山本浩生に、きのうデッサン見せてもらったら、ゲゲっ……ハンパなかったっていうさ。
(展覧会(http://www.gankagarou.com/sche/201104heimentomerihari.html)に行かれる方は是非彼のポートフォリオを。総120頁!)
酒の肴に憎まれ口と腐れ事をぶつけあう仲だけに、あんなガチなもん見せられたらどう言っていいのかわからなくって困った挙句、
「ほほう……反転したマチエールかね? なるほど悪くない。君のリビドーは光の束との相性がいい。つぎはキャンパスを逆さにしたらどうか。宇が宙に転がるだろう」
あやうく、そんなクズを騙るところだった。
あー頭いてー。やだやだ。なに言ってんだよ。
それから、絵とか文とか上手になる時間あったら、もっとうまく生きられるようになりたいよなあって話したっけ? チリチリ感および狂気についてひとしきり語らったことは覚えている。


チリチリの狂気。凶器、スレスレの散り。散り散りの粉。裁くの血。裁くの? 嘘。駱駝なの、ほんとは、あたし。ずっとそうなの。ほら、この瘤。胸? ちがう、駱駝なの。
ダンサーズや日向子さんに書かせてもらった文章とか、エクスとかいろいろ、おれの書き物を読んで「こいつ……分裂的でヤバイ人だろ……」と思う人も少なくないらしく、いやーそんなはずないっすよ。ただのホストだし。
じゃなくって糞真面目で誠実者だから、そのままやってると、ああなるだけで、っていうか、たぶんホントはみんなそうなんじゃない? 分裂も混沌もないってほうが、ちょっとどうかしてるんじゃないのかっていうさ。気持ちとか体とかに無理なく自然に過ごしてる、誰だって作るものとか喋ることとか、まとまりつかないものなんじゃないのかなあと思う。
そう思うし、そうなればいいのに。そうなるはずのものが、そうならないってことのストレスとかダメージとか、ものすごい溜まってるように感じるんだけどなあ。
街を歩いてても、人と居ても、よくそういうの感じる。


なにも言葉じゃなくったっていいんだしさ。
言葉や理論でトべる人もいれば、そういった形に落とし込もうとして矮小化しちゃう人もいるじゃない。こないだお会いした石居さんは、人と話していたり感じたり考えたりすることが絵で浮かぶとおっしゃっていた。おれは対話や文章の交信してるとストーリーとかシーンが出てくることが多いかなあ。ぜんぜんロジカルな人間じゃない。混沌としてていいじゃんって思ってるしね。
だからって、洗練されてて美学的なモノもスペースもアーやだなあこういのって毛嫌いしてるかっていうと、まあそういうときもあるけど、いつもかっていったら、そんなことはない。洗練の方向性とかも、考えてみればいろいろあるだろうし、なにを「洗練」を言うかとかも、いろいろ考えられそう。
大事だなーと思うのは、理屈より重んじられるべきことってあって、やるべきことがあって、そういうのどんどんやってったら、いずれ変化が起きる。同じままじゃいられない。変節や変身は避けられない。そのままじゃいられない。そのままじゃいられないってことは、自分の生きてきた時間や経験が、しだいに一筋じゃなくなってくってことだ。今日や昨日を、ある地点から見直したとき、矛盾や裏腹なところがいくつも出てくるってこと。


それで、じゃあどうするのって話だな、最近よく考えてるのは。これもまあ、また考えなくなったり、どうでもいいことになったりするかもなんだけど、ひとつひとつやってくしかないよな。だとしてもさ。
んでね、思うんだよね。「しだいに一筋じゃなくなってく」生き様についてさ、喋れたり書けたりする人は、とかく、そういう能力を言い訳にあてちゃいがちで、おれもそうだったんだろうなあ、そういうところは、いまもあるのだろうな。
反省? んー、まあしたらいいよね。ってうか、してきた。でもそれを言葉だけでやらなくてもいいし、やって人に聞かせる必要もなければ、やんなきゃなんないのかっていったら、それもどっちでもいいのかも。人に向けてどうこうじゃないんだよ。まず自分に言い聞かせないと、人になんて何にも伝えられないだろう。資格もない。
ただ、反省にせよ、伝達にせよ、あれこれロジックでどうこう言うことが、なんのために、だれのために必要なのか。
会話? 対話? 交信?
たとえばジョルジュ・バタイユは人間が言葉によって理解しあうことを不可能と見極めたところから言葉を書いた。そういう人もいるん。
反省して、伝えて、それでオールオーケーになってくなんて、それもまた、淡いわなあ。
だからって絶対無理だからやりませんとか、諦めちゃうとか、投げ出しておしまいっていう気持ちにもならないしな。人生観とか人間観みたいなこととか、政治や社会状況に対するメッセージみたいに把握される言葉のレヴェルとは限らないけど、なにか感じたことを文字に起こして形にして或る流れにそって展開させて構造を作ってアイデアを枠組みにして作品を書き続けているのなら、そこに、誰かに伝えるとか、誰かに伝えたいとか、そういうコミュニケーティブな依頼心がまったくありませんなんて、とてもじゃないけど言えないし。


上に関連あるようでないような話、ツイッターが短いフレーズの語りを広げつつあって(錯覚?)、たまーに自傷気味なときとかだけあのコメントの並び読んだりするんだけど、そうすると、おれはさみしくない、とか、おれはひとりでいい、とか、けっこうな人が言ってるのね。面白い。本人もわかってるんだろうけど、それを口に出したり書いて見せてるうちは、まだぜんぜん大丈夫、向こう側に行ってないっていうか、超えてしまった人の言葉ではないよな。たぶん行ってしまったら、もう何も喋らないから。岸のひろさと、声のかぎりと、霧のふかさが、心の音をかきけすだろうから、と思うが、どうか? はっきりしたことはいえない。千差万別かも。あとは、おれは魂だけふわーと出てって、ああもういいやぜんぶどうでもいいって感じることはあるけど、また戻ってきてるから。詳しいところの実感がない。最後に付け加えると、おれの友達や恩人たちに向こう側になんて行ってほしくない。


それにしても狂ってる狂う狂っちゃうってなんすかね、っていうね、そこだった。
かつて「狂ったもんがち。みんな迷惑するけど、本人は生きていくだけ。ストレスない、そういうのも感じなくなれるんだからさ」って聞かせてくれた愛人もいた。
自分でも、あーやべーな愛情と殺意って紙一重だなーてひやひやするときと、いやーとても長閑で波風たたなくて牧歌的だなあて関係性だってあったり、愛とか恋とか殺意とか、それもこれも一言じゃいえない。
どうしたいの? どういたいの?
まあそうね、そういうこと。
そう問い詰められて困ったこと?
ああ、あったような、んー、いつだったかな、あれも悪い夢だったのかな。
ずっと浮ついて生きてきたからなあ。
あれ、さっき誠実で糞真面目って書いたっけ。
そうそう、こういうところね。
「矛盾皇帝」に<ズルの王様>とルビをふるっていうね。


ヤバい人といえばね、そろそろ引越す我がアパートについてだ。そろそろ引越から書いておこう。
トイレ・バスなしの四畳半、いやあこの三、四ヶ月ネタんなったあ。
みっつ隣の人のケータイ通話まで筒抜けっていうアンチプライベートな昭和文化遺産的木造二階建て。箱からティッシュを抜き取る音まで聞こえるくらいの熱い壁。こないだの地震じゃいよいよかって心を備えたけれど、机立ててる上の壁に亀裂が入ったくらいで済んだのは、きっと職人さんの腕がよかったんだろう。60、70年前の大工のクオリティ。


住人は、これがまあ、ご想像通りの粒そろい。顔あわせたことあるのは数人なんだけど、一人はいくらか足りないボクシング馬鹿。きまってAM3:30〜4:30に帰宅しては、RECしてあったんだろう、ほやほやのリアルバウトをフルボリュームでを再生し「右! そこ右! フック!」つー左巻きな咆哮を挙げる。そしてよく喋るんだ。ずっと誰かと電話してんのかってくらい喋る。
もう一人は、ときどき笑いが止まらなくなったり「うーうー痛い! 痛い! 頭が痛いようーー!」と半日くらい唸ってたりする中年ゲリラ、40歳くらいのときの高橋源一郎そっくり……と思いきや、こないだ見かけたらビスが一本飛んだ島田雅彦にソツクリで「え?」って虚を突かれた。そっちら関係の方なんか。頭が痛いのは脱皮や孵化してるからなのかな。


むかし住んでた風呂なし(トイレあり)のアパートは、真夜中に茶碗を箸で叩きながら井上陽水の『リバーサイドホテル』をボサノバのようなささめきで歌う、どうしても片付けられない&なんでも拾ってきちゃうオジーちゃんと(玄関はモノで埋められていてサイドの窓ガラスから出入りしてた)、毎日100回くらい取立て屋から督促コールがかかってくる(留守電がフル稼働だった。録音も切ればよかったんじゃないのっていうね)借金王子に挟まれ、ああそういえば真上に住んでた人は、木や埃や食い物の屑を降らせる雷様的なおばさんだったんで(無論すべておれの部屋IN)まあ、変り種には免疫あるっちゃあるんだけど。ここ池袋も楽しませてもらったあ。


で、最近ニューカマーが現れて、だいぶ突き上げが激しい。
チンピラを着崩した雑魚感に溢れる、おれよりちょっと年下かなあ。小柄の坊主の、地元で下から二番目の暴走族24時間営業してます的な風貌のハウンドドッグ。
ある夜、それはエクスだった。
じゃなくって、突然の来訪だった。
「おめーうるせーんだよ! 昨日と、先週の金曜と、それと今日といい加減にしろよテメー! その前も違う奴ここに居ただろ分かってんだぞこの野郎」
どんだけ聞き分けてんだよお前は犬かよっていう(笑)
それ以来、ちょっと虹色な音とか声とか漏らせば飛んで来てガンガン吠える。愛? そんなもん交わせないよー、がっぷりいかれちゃうもん。ウィスパーのウィウィウィウィウィていう大人な電子振動音だけだったって、おそらく赤い舌垂らしながら戸を蹴り喚くだろう。
ちなみにウチだけじゃなくて道路を歩く人とか自転車を停めてる人の気配がすると窓ガラガラって開けて「うるせーんだよ! なに観てんだよこの野郎!」って罵声を浴びせている、まさに狂犬。


この半年でこの辺も変わった。ビルが三本建って、いまも毎日爆音のノイズミュージックが朝8時からインプロビゼーションを聴かせてくれる。一本先の道がこないだ山手通りに直リンしたことで、おもてにチャリもバイクも停められなくなる幸福にあずかったし、選挙カーはエンジン音でリュック・フェラーリパスティーシュだし、あの媚び媚びのオバハンのキンキン声がヴォイスに「おめーには入れねーよ」ってなる、耳福の小部屋。


あー。なんかもうだるい。
いや、気だるい。
しばらくぶりの欝だ。
あまくって、詩みどろで、なあにも手につかへん。
いややわあ。
法螺。
でなく、ああ、ほら。
忘れたての京言葉まで、このようにこぼれたりして。


三階の出窓から、書いたばっかりの原稿をブワっと投げ捨てる。今生に解けない愛の罠を誂えるため、夜行バスで西都に向かう。罪の火森、その奥ふかいところに仕掛けた諸歯に咬まれるのがテメーの脚だったなら、まあそれまでよ、だわな。息絶えて、肉が蕩けて、骨になって、それもみんな粉になったら、月砂の漠に雑じりあってくれ。そよぎない時のなだらかに、銀の憂いをたたえた瞳の黒猫と、ほそいうなじにあの夜の夏の匂わせる形影が並びあって、蝋燭の炎のように揺らぐ。踏み鳴り、涙、それと汗。お前の体と嘘を曖昧にする薄絹を轢き裂いて、目隠しにする駱駝のような音と弧が、弓なりの丘の際に背を向けて立つ。そのとき水色の匕首を抜くのは誰だ。縦に破れた胸元に、あまい酒の壜に挿された樹栓のような乳首が、いたずらな噂を覗かせる。鈍い響き。淡く乾いた砂漠に染みが広がる。屈んで舐めてみろ。とたん、お前の罪を血膜がくるみ、ざらつく砂だ。それが、それが ――