ビルバオ×バルサと沖縄料理。


 勇気についての覚書き。
スペイン リーガエスパニョーラ 第12節
アスレチック・ビルバオ×FCバルセロナ


イングランド、スペイン、ドイツ、フランスにイタリア。
世界のトップリーグは、いまやその下部リーグですら、ヨーロッパや南米をはじめ、世界各国の選手で構成されたクラブがひしめく。日本代表の長友選手が所属するイタリアのインテル・ミラノや、イングランドプレミアリーグで旋風を巻き起こすマンチェスター・シティなどは、スターティングメンバーに自国籍の選手が居なくても不思議ではない。経済的な有力国の行く末 ―― 近未来の共同体コロニーを予見させる。



こんな時代に“おおよそ”バスク人のみでクラブを構成するのが、アスレチック・ビルバオだ。
バスク人は、さまざまな民族が暮らすスペイン共和国において、体格に恵まれた選手が多く、かつ無骨で無心、つねに全力で闘うと称えられる。
事実、ビルバオは降格することなく、スペインリーガエスパニョーラ、そのトップリーガーであり続けてきた。ボスマン裁定以降、名門、古豪とヨーロッパに知られたクラブが、つぎつぎに堕ちていったこの十数年に、この結果は確かな証拠だ。



今シーズン、ビルバオに迎えられたのが、アルゼンチン人のビエルサだ。
ビエルサ
法律家と政治家を数多く輩出する一族から、暴力と貧困からのエクソダスを掻き立てるアルゼンチンの蹴球界インローに転んだ“エル・ロコ(変人)”ことマルセロ・ビエルサ
この世界屈指の戦術家アウト/ロウは、2010年に南アフリカで開催されたワールドカップにおいて「……時代錯誤か?」と懐疑的な見方もあった3-4-3システムでチリを率い、結果的に優勝したスペインとのグループリーグ最終戦で、まるで談合のような試合をやったものの、他のゲームにおいては絶対的な運動量と確かな技術力、鍛え抜かれた連動性と組織力を武器に、さらには闘争心が敵を圧倒し、世界中のうるさがたをうならせた。


前日本代表監督の岡田武史氏が「実は、彼の戦術を研究するために、キリンカップにチリを二度ほど呼んだ。しかし、それでもよくわからない。複雑で独特、変則的。クライフのそれ、サッキのそれ、グアルディオラのそれとも違う。興味は尽きない」と語ったのが、ビエルサの3-4-3システムだ。4-4-2、4-2-3-1と、4バックが主流である現代に、リスクの大きい3バックのシステムは、それだけで無頼者のモードだ。
猿真似をしない。流行を追わない。無様なほど勝利だけを求めたりも、しない。
マルセロ・ビエルサアスレティック・ビルバオとは、なんと魅惑的なセットだろう。





思い出したら? 


そうだ……ルゥボとアベル・ユナイったらリコロル山のてっぺんに登ってって、そこからそれを大声で呼んだんだんだんだ? 


どして? 


それのこと連れてってくれなかったんだろおな、ておもおた。
して、それは気にしたらならないことっておもおて、して、なにやら小耳が塞がってしまうゆな甘みをふるまわれた。


リコロルの魔だな。


そいつはたいそう甘いのだ。


おお? もお時を無駄にしちゃえたらいいか? 


あし、あし、あし。


ナンバー8からナンバー3へ、ナンバー13からナンバー21へ。


それからファズを蹴り食らわすこともできなければ今それはなんも見えずおるのさ。
パーチチパ、クルチチ。
なにも聞こえぬい。
ここから山のてぺんまで三日もあろうかという頃だたなあ。
そこからじゃハルとバルの背中はまだ小さくも見えず、小さくも、小さくも……見えず? 
うぶ、そりゃそうだた。だて、ハルとバルばかりかよ、それ、おも、なにをも見えなぬーなっちぇたんだ。


なにも見えなかったです。
チーチーパ。


アベル・ユナイと仲よさそうなルゥボにジラジラ火が燃える。
おそらく吾の晩、チーピを掘っていたのはアベル・ユナイ一匹じゃあなく、おそらくそうだたんだな、一対だったろうとそれは思うた。やから明日の午後までに、仕留めなきゃならんかもしらん。
それらはトリコロの花に彩られた虚人のお墓に敬礼するだおう。それはこっそり彩りの花を抜きくさるだろう。ああ。そうだ。そうだたあ。わあ、チクピーククウ。する。する。する。まあたく、どうにもこうにもマボロシのように儚むんじゃなあ。


こそり。
彩の花を抜き。
その花は。
それの。手のうち。


赤く滲むじゃ。


吾は滲みをトリコロの絵と憶えるお。そえで、いいいつまぁでもぅ、忘れるんだぉ。


するな、と声がする。


戒めの忌々しさをおもうううよ。
ルウボがやわらかな耳打ちにくれた。


「展と遅」「藍と造」マリアアアジュのこと。
その結びに封じられたのこと。
こそり、こそり、そーり、そり、りりりりぃりりりいい盗む花が、それの手に滲むことだろう。滲むだろう。虹だろう。無理だろう。もう無理だろ虹だろ無理だろ虹だろう。
で、あこうなる。


あこうなた花である。
あこうなた花。
それはトリコロの絵となる。
あ、花である。


チクアーアーア、ぬくううてぬくううてしんぼうたまらんよう。


墓石のまえに整列するそれたちはトリコロールだお。それから、ひとつばかり伝えよう。あとでルウボちがうよそれは彩から赤を盗んだんじゃない。盗んだそれが赤になたんだよ。ほんと。ほんと。吾は。ほんとしか、よういわんもん。
あとあとずっと、ずっとあとの話になるような時を、ここで過ごしていると知っていたらな。
そうなってそうなってそうなって、それらずっとずっとあとあとあとになってから思い出すことになるんだろうな。
「どうかしら。あなたが生きているかぎり、わたしは……」
それからさきは、赤に切り取られ、おわっちまった。
吾はルゥボを見つめ、チクチー、みじかく叫んだ。ルゥボはそれを見つめていたと思うよ。ひどく思いつめていた。
魔の山からリコロルの合唱隊コロスが近づく。
『魔リコロル』の女《ディグ・ディグ》がソロをとる。
みなが、代わる代わるトロフにティスをする。
吾は、ユナイのみみたぶに、ティスをする。
「いいじゃろ?」の含みに継いでふふ、
ふふふふ、
ふふ?
ふふふふふふふふふふふふふふふふ、
ふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ、ふふ、ふ、
ふ、ふ、ふう、ふう、ふう。


ああ、あっちい。




と、なんだろう。
何故に熱くなっているのか、おれは。


“逆境にあってなお、希望を実現させる可能性に存在の全てを揮う、一心”
勇気について考えていたんだ。
言語を成り立たせる社会的なコードの解釈だとか、「義」をめぐる対立構造の考察を抜きにすれば、およそ『勇気』の定義は先の一文に凝らせるか。


雨に濡れた芝に、荘厳かつ尊大で、猛々しい赤と白の縦縞模様があった。
後半の45分間のみの観戦だったが、ビルバオは今夜も闘っていた。
ただ、4バックだった、ように見えた。
なにかあったのか。あの時間帯だけだったのか、どうなのか。





ルールがあり、敵がいる。
それがフットボールフットボール足らしめる。
勇気を掻き立てるにはうってつけのシステムであるがゆえに、むしろその欠如が際立つのだ。
育成に携わる指導者や、プロになった人間に言わせると、フットボールのセンスがあり、ボールの扱いに長けた人間は少なくないらしい。
そういった競争環境に、何千、何万というプロ志望のプレーヤーがいるなかで、おそらくは覇気や執念こそが違いを生み、トップリーグでのプレーに導くのだろう。
だとすれば、この現実は、なんだ。
試合を行うクラブが、ピッチに立つ全ての選手が、もちうる能力をフルに発揮し、敵を叩き潰そうとする意思が感じられるゲームは、非常に少ない。
経験から言えば、シーズンで500〜600試合見ても、記憶に残るのは10試合前後だ。



このゲーム、最終スコアは2-2だった。
バルサとすれば後半ロスタイムで追いつき、ようやっとドローに持ち込んだ試合だった。
“縫い糸が、縫い糸が、どうにも針穴を抜かない”
雨を吸ったピッチを走り、集ってゴールを狙うものの、ビルバオペナルティエリアを越えられないバルサに、そんなもどかしさがあった。


シーズンも半ばを過ぎ、怪我をしていた選手たちが戻ってきた。
だが、昨年までの流麗なパスワークや効果的なユニットの形成は見られず、奇跡的な有機イレブンもピッチに居ない。
2010-2011シーズン。
同時代を生きた人間がすべてこの世を去ったとしても、語り継がれるであろう伝説インパクを残したクラブに、どのようなモチベーションが沸くのか。
退廃的な憂鬱ブルースは、空天に厭いた闘神だけの詩情ナンセンスではなかったか。
終わりも近く、ビルバオに1-2と先んじられ、ようやく漲りはじめた今宵のバルサが汗、彼らの汗は、まだ人の汗であった。そのように見えた。
人は人であるから迷い、神でないから濡れるということか。




ゲームが終わる。
ビエルサは駆け足、敵将グァルディオラいだく。



Athletic Bilbao×FCBarcelona



 初冬に風、沖縄の風

『グンボーイリチー』
味噌とダシ汁が滲みる豚肉と根野菜の沖縄料理だ。
今日は牛蒡でなく人参を炊いた。
よく膨れたはんぺんが、あつ盛りの玄米を汁で濡らす。
「隠し包丁」に「落とし蓋」。
和語の、料理言葉の、なんとまあ趣のあることよ。
あつあつをふうふうしていただく。



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