1/17-1/18 “洞窟、鋲を打つ男、宮本と坂本、コパ・デルレイ『レアル×バルサ』、駄目になったバネが落ちていて ―― ”


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あなたは、町から離れて洞穴に暮らす男が、横穴からわずかに届く日差しだけを頼りに、壁に鋲を打ちつけるのを眺めている。灯りはなくとも、それが鋲であることはわかる。石だろう、鋼鉄の柄が堅いものに叩かれる音がひびき、ときどき火花が散る。そのときだけ、髭だらけの男の顔が見えるのだが、あまりにも短すぎる肖像のあらわれは、かえってその印象をはぐらかすばかりで、火花の鮮やかさだけが心に刻まれる、とあなたは思う。





よく見えないので、平べったくて堅い、としか言えない何かに坐りながら、あなたは眠りもせず、声も出さず、飽きもせずに考える。
何十年、何百年かして、この洞穴が人に見つかったとき、あの男の白骨が風化していなければ、ほかには壁に打ち込まれた数千の、数万の鋲が、見つけた人間に何かを語りかけるだろう。
ただ、その何かとは、なんだ、なにか言葉にならないものとは、じゃあなんなのだろう、とあなたは不思議に思う。
言葉でないものを、言葉で考えている私とは、ならば、なんなのだ。
あなたには、あの男のやっていることが何なのかはわからないし、壁にたんたんと鋲を打ち込んでいく行いが、どういったことにつながるのか、いや、何にもならないのかもしれないと感じつつ、ただ、それもおかしい話だが、とあなたは呆れる。
私は、あの男が、どうして私に気づかないのかよりも、そんなことよりも、ずっと、すべてはここにあって、この男の行いのうちにあって、それで、なにもかもが充分なのではないか、とも感じている、そのことが、いや、そのことは、あまり不思議ではないのだ、とあなたは思う。





きみは、それから『すぽると』の特集を見た。
ヤクルト宮本慎也の自主トレに参加したジャイアンツの坂本勇人
ならんで微笑む、ちょっと照れくさそうに、お互い。
それが、いいツーショットだったな、と思い返す。
「ここ一番のときは、飛んでくるなって思ってます」と宮本が言った。
球史に残る名プレーヤーが? 今年の守備成功率99.7%の宮本が? と、飛んでくるなって?
坂本、信じられないといった表情で宮本を見る。
「いや、ね。飛んで来い! なんて思ってたら、きっとミスしますよ、僕は」
あっはっは。


あっはっはって、奥深過ぎるやろ、ときみは、喋れもしない関西弁を繰り出した。




君は手元にあったメモに走り書きをする。


それにしても、一週間、一週間も宮本にコーチングを受けられるなんて……プロの鏡に……守備の神様のような人に(キャリアを重ねるごとに打撃も3割を超えるようになって、すごい打者でもありますが。ちなみに昨シーズン本塁打王ライオンズの“おかわり”中村さんが「宮本さんの、カチンと引っ張った三塁線のライナーが大好きなんです」って頬を赤らめていた。打撃のプロ中のプロにこうも言わせる神職人)ベタ付で教えてもらえる……なんてうらやましいんだ。飯まで食いに行けて、とことん話も聞けるなんて……。
フットボール界では、プレミアリーグレジェンズの復帰で騒がしいけれど、永遠の恋人と形容した(んだっけ?)アーセナルショートステイで帰ってきたティエリ・アンリについて「アンリが影響力を発揮しないことを望むが」と前置きして、敵将のハリー・レドナップ(ライバルクラブの「トッテナム」ヘッドコーチ)がこう言ったらしい。
「彼のような選手の習慣を見るだけでもお手本になる。若手選手は、どんなコーチから学ぶよりも多くのことを彼から学ぶことができる」


あわてて書き取ったからだ、ときみは頬を膨らませるだろうか。
お世辞にも、きれいだとは言えない、まるで小さな蛇のようなインクの跡が、それが文字だと気づけるのは、ひょっとしたら世界中で君だけかもしれない。
ちいさな洞窟に、左わき腹を探り、そこに蛇の咬み跡がないかたしかめる人影を、きみは見つける。
ゆたかな胸のラインに気をとめていると、足元にくねる素早い気配がする。
気づいたときには、もう遅かった。下半身が、するどい痛みに襲われる。
夢見にしては、首の裏側がとても重たくて、心地よさとはまるで違う生ぬるさに、きみは引きずられていく。


君は、うすれていく意識のなか、誰かに助けてもらいたくなったが、あてもなく、声も出せず、世界一の物書きについて、ぼんやりと考えるだけだ。このときのことについて許されていたならば、こう書いただろうか、きみは。
「世界一の物書きに会いたいな。前も書いた。ずっと思ってる。でも、どこにおられるのだ」
君はまどろみの最中、東に浮かぶ国で賞に呼ばれた人がいる、という噂を耳にする。その名の綴りに覚えがあって、消えそうな意識の淵で、言い残す。
「円城さん、よろこんでらしたようなので、受賞おめでとうございます、と思いました。10の言語(?)をめぐる小説、読んでみたい。そんな小説が芥川賞を取るっていうのは、久々っていうか、むかしにだってあったのか、どうか」





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髪を洗い、明日は彼とデートなので、だいぶ遅くまで起きていてしまったので、今夜は、といってもすでに朝だけれど、だから今朝はだ、今朝は、さぼらずに眠るまえのストレッチをして、顔にもちゃんと化粧水とクリームを塗りこんだから、どうか喜んでください、私の肌、肌いろ。
それから、スペインのコパ・デルレイを観た。
カードは『レアルマドリード×FCバルセロナ』だ。
わたしは世界中で一番バルセロナが好きで、レアルマドリードは世界中で一番好きではないクラブだから、この試合、とても熱くなった。
やっぱり贔屓のチームが、そうじゃないチームと戦うカードには気持ちが入ってしまうんだ。





フットボールのことはよくわからないけれど、むかし「食う・寝る・フットボール」な人と付き合っていたことがあって、そのときに、いろいろ覚えた。さいしょは『ユニフォームが一人だけ違う人がいるのはどうしてなの』って、わたしはゴールキーパーのことも知らずに見ていたんだな、ああ、なつかしいですね……いまあの子どうしてるかな……なんて思っていたゲームの立ち上がり、バルセロナが点を取られてしまう。世界で最も目にしたくないサッカー選手であるC・ロナウドが点を取ったんだ。このときばかりは、気持ちが暗くなって画面を消そうかと思うほど落ち込んだけれど、そうしないでよかった。もしかしたら、今シーズン、いや、ここ数年で一番強烈な試合だったかもしれない、いろんな意味で、そうだった、すごい試合だったから。ただ、そのすごさについては書かない。書けない、と言えるかもしれない。レアルのホームスタジアム、サンチアゴ・ベルナベウに集った、この日の数万人と、レフェリーとレアルとバルサの関係者・プレイヤーすべてに話を聞けるとしても、わたしはきっと、このゲームのすごさについて、書けないだろうと思うんです、とぶつぶつ言っていた。もう空も空けていて、空が空けているっていうのもおかしいけど、朝だった。終わったら八時だもん。お肌には、あまりよくないです、フットボール観戦は。




今年のレアルマドリードは強いと聞いているし、メンバーも揃っていて、このゲームにしても調子は悪くなさそうだった。バルサに先制してからは、自陣にどっぷり下がった守備的な布陣を敷いて、ロナウドイグアインベンゼマがカウンターに走るという即物的/効率的な(アンチフットボールな! 恥ずべき歴史だけじゃなく、こういうことするから、わたしはレアルマドリードモウリーニョも好きになれないんだ!)調子だったのに、バルセロナはそれを破った。敵のプレスが速く、数も多いので、なかなか中盤が作れずに、それもトップ下のエリアがうまく使えずに、バルセロナはサイドにボールを散らすしかなく、さすがに出所と攻撃されるエリアを限定できれば、レアルにしてもすばらしい選手が揃っているので、バルセロナはせめあぐねているように見えた。でも、前半の終わりから少しづつ動きが出てきて、レアルはそれに付いていくのが精一杯になって、ミスも出始めて、バルセロナはそういう隙を逃さなかった。メッシが存在感を示し、チャビが国宝級のボールタッチ&パスワークを繰り出せば、もうバルセロナのゲームだった。アレクシスはタフに駆け回り、イニエスタが左右に切り裂いて、プジョルが豪快なダイビングヘッドを決めてくれた! 同点! 二点目はメッシのスルーパスを左サイドから駆け上がったアビダルが左足で蹴り込んだ!



こないだのダービーといい、このゲームといい、わたしには、レアルがバルセロナ恐怖症になっているように見えた。CR7にしても、イグアインベンゼマにしても、ふだんなら簡単にさばくようなタイミングでミスをしていたし、落ち着きを失って慌てる様子が、なんどもあった気がするんだ。モウリーニョはどんな気分だろう。
「オンリーワンだから、私は。あなたたちもご存知だろう? 私は、なんだってやれるし、これまでだってやってきたし、ここでも成功するイメージしか浮かばない。でかいこと言ってるわけじゃない。それが実感であり、実績だよ。ふっふ」とかニヒルってたモウリーニョ、あいつー、レアルのヘッドコーチ就任会見でさ。ふんぞり返ってなかったっけ?
「ざまーみろモウ! うっうっっう!」と叫んでやりたい! 
ちょっと前のCLファイナル『インテル×バルサ』で、あなたが犯した罪を、わたしは忘れないんだよ。なんなの、あんなの、スポーツじゃないじゃないの。虚無だって供物にしてくれないよ、嫌われるよ。


スポーツじゃないといえば、このゲームをプレイしたぺぺは酷かった。いつものことといえば、いつものことなんだろうし、そういう選手が偉そうにスタメンにいるっていうのも、やっぱりレアルって好きになれないなって思うんだけど、ぺぺはメッシの手を踏んづけた。しかも、ファウルどさくさにまぎれて、すれ違いざま、いちどメッシの姿を確認して、手の位置も見てから、思い切り踏んづけた。骨折が起きたり、スパイクの歯があたれば千切れてもおかしくない勢いで、ぺぺはメッシを踏んだ。わたしは、絶対に許せないと思った。いつもはクレバーに戦うレアルのDFカルバーリョも、見るに耐えないファウルでメッシを削ってた。
どちらも、イエローカードしか出なくって、私は一発レッドカードが相当だと思って、とても腹が立った。レフェリーは、ゲームをコントロールする責任があるから、カードを連発したらゲームを壊してしまうから……というのは理屈で、ああやって見逃したり見過ごしたりしていてなにがよくないって、メッシをはじめ、大切な選手たち(それはレアルのメンバーも含めて)がいたずらに消耗して、結果的にフットボールの質が下がっていくだけだからだ。レフェリーは、そういった分水嶺の、まさに瀬戸際にいるんだってことを、もう一度自覚してもらいたい。あんなアンフェアな、危険極まりない行いをした選手が、あたりまえのような顔をしてプレーを続けるなんて、正気の沙汰じゃないと、わたしは思う。




ひとつ気がかりなのは、この試合が難しいものだったこと……
去年からたびたびモウリーニョが煽り、それをバルサが真に受け(さいきんは「もうモウリーニョあいつの発言はスルーしようぜ」って雰囲気になってきてるみたいだけど)、バルサのなかにもセンシティブになっている選手が居て、プレーも激しくなり、世界中が注目する(だって、もしかしたら地球最強決定戦かもしれないんだ、このカードは)一戦を、お互いに譲れないところで戦っているうち、いまや『バルサ×レアル』というのは、冷静にプレーできるゲームじゃなくなってしまった。審判にしてみれば、世界でもっとも難しいレフェリングが求められるゲームだろう。日ごろからダーティなぺぺは論外ぺっぺっぺ!だけど、アロンソにしても、カルバーリョにしても、ピケやチャビにしても、あんなふうに激昂するなんて、どうかしてるんだ、このゲームは。




技術も組織も、おそらく戦術だって、現代の最高を表現できるクラブ同士の試合が、いらいらさせたり、汚い言葉を口にさせる衝突が頻繁にあって、わたしみたいな女がひとり見ていても拳を握って打ち付けたくなるような……それも何回も……見ていてとても気分が悪かった。そろそろ、この異常に加熱した状態を両クラブが反省して、いちど休戦協定ではないけれど、合同で記者会見を開いてフェアプレイに徹するとか、基本に立ち返るって宣言をしたら、どうだろう。垣間見せてくれるプレイのクオリティがすばらしいだけに、こういった後味の悪い時間が毎回残ることに、空しさや悲しさを感じているのは、きっとわたしだけじゃないはずだ。


……いや、わたしのためだけにだって、ちゃんとやってよダーリン、って気分だった。


おしまし。





そういえば、お風呂に入る前のこと、わたしは「気をつけているのに、どうして見失ってしまうんだろう」と悲しい気持ちだったんだ。
「この一日の中心は、これだ」と掴まえたことについて、その日の言葉ヒントを頼りにしながらやったらいいのに、いつのまにか言葉だけに囚われて、囚われて……それだけになってる。
なんでだろ。うまくいかないって、もう慣れてきてるけど、それもかなしい。
どうにも元気が出なくって、倒れそうな気持ちをたくさん励まして外に出たら、信号機のポールの下に、だめになったバネが落ちているのを見て、はっとした。




人が一人づつ別人であるように、わたしだって、やっぱり他の人と違うんだ。へんな癖があったり、おおざっぱなのに、ちょっとしたところへのこだわりがあって、人とうまくいかなかったり。あらためなきゃならない。わたしがいま、誰かが成し遂げた成功や体系を一生懸命に踏まえたからといって、その誰かとおなじような結果に恵まれるわけじゃない。日々努力を重ね、たゆまぬ気持ちで生活をしながら、曇りなく何事かに打ち込めたら、どれだけ素晴らしいだろう、と羨ましかったり、妬ましくなったり、そんなときは「ああ、なんて嫌な女だろう、わたし……」と、うなだれた気持ちにだって陥るんだけれど、かといって、そういった継続が、気持ちの張りや強さが、わたしにとってぴったりなのかといえば、そうじゃないのかもしれない。そうじゃないことについて、悲しいとか、苦しいとか、悔しいとか、そんなことを言ったって、もう仕様がないじゃないか。わたしに、どうできたのよって、ほんとに思う。頭に来るくらいだ。何十年も、わたしはわたしなりに、ふんばって生きて来たんだ。うなだれて、ふてくされて、弱くって、気をもてば直き飽きてしまう堪え性のないわたしが、わたしなんだ。それのどこがいけないのって、わたしは昨日のわたしを叱りつけたい。でも、それと同時に、ありがとうとも、伝えたい。昨日や、一昨日を過ごしてくれた彼女たちがいなければ、いまの私はいないんだって、思ったりもするのだ。追い込まれ、苦しんでいるうち、凝り固まって孤立して、誰の声にも心を開かなくなってしまう人がいるけれど、わたしは、いつだって人の話を聞きたいと、聞かせて欲しいですと、そう言える人でいたい。気が弱く、やろうとしていることにふさわしいだけの器もないけれど、せめて、誨えを請えるやわらかさだけは、失わずにいたい。それから、わたしはわたしのパーソナリティとキャリアにとって、どのようなやり方がふさわしいのか、試行錯誤を続けていくほかない。そして、それができる時間と健康のあることこそ、なによりも幸せだと思うんだ。





落ちているバネを見たら、いつだったか書き付けた、そんなメモの文面が、心によぎった。
「それが、きっかけが……なんでバネだったんだろう……」と思いながら、わたしは夜更けの河川敷を歩いた。さっきよりはすこし、歩みが楽になっていた。
曇りにあって星のない夜空に、いくつもの羽ばたきが聞こえたけれど、鳥の影はひとつも見えなかった。