指宿デビュー、シニョンの君、マッチ売りつける女、台所のおと。




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■0119(THU)
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17時過ぎだ。SKJ室は今日も満室で、しぶしぶ奥まで歩く君は風邪を引かないように、それなりの防寒で身体をくるみ、顔にはマスクをあてている。扉を開ければむっとした気のこもりだ。コートを脱いだ身体なのに、BK室には汗ばむくらいの熱気だ。君はノートブックは広げずに、本を手に取る。


医者に呼ばれ、夫が治らぬ病に犯されたと知らされた妻は、怯える。夫に気取られることをではない。妻は夫の耳に怯えたのだ。
「おまえ、こないだまで、おれの代わりと張り切って、板場で調子よく俎板を叩いていたのに、どうしたんだ。ここのところ、迷いはあるし、途切れ途切れだし。休まなきゃならないのは、おまえのほうじゃないか」と、身をつねるように笑う。
倒れた夫を看病しながら、懸命に店を切り盛りする、芯のつよい妻をして、
「このままでは、きっと見抜かれる……いや、ほんとうは、あの人はもう気づいて……」
そう動揺させるのが、職人として生きてきた夫の耳のよさだ。


後家になった女が営むのは、花街にほど近い寿司屋だ。筆で身を立てようとする男が暖簾をくぐる。馴染み同士のやりとりが、唐突に終わる。
「あんた、今夜は、あれでしょう。あたしの旦那におさまれって、そう言われたから来たんでしょう?」
おい、なんだ、知っていたのか……
男は、ああ、だか、ええ、だか、とにかく声にならぬ声を出し、きまりの悪さから逃れようとする。
「おかしい話よね、あんたとあたし、知らぬ仲じゃなし、いまさら照れくさいったら、ありゃしない」


ながく連れ添った夫婦だ。一言で千を察する仲だ。そんな二人が、言葉のないところで……音のひとつひとつから互いを察し、思われることの豊かさだけではなく、その怖さにすこしづつ関係がかわっていく有様が、刻々と描かれる。君は武者震いしながら、京都の若き哲学者が聞かせてくれた「リアリティ」の話を思い出す。
それは身体だ。それは音だ。
それは身振りだ。それは向こう側だ。
それは手にとれず、耳にできるかもしれないが、けっして一体にはなれない何かだ。


「この小説には、まず、暮らしがある」と、君は思う。
ひとつには、料理や仕込み、調理場の様子を描く筆のしなやかさだ。
君は「これは……どこで学んだものなのだろう……」と戦く。
客を迎え入れるまえの板場の音だ。仕込みを煮炊く炎だ。魚と野菜、和出汁の染みた割烹着の、その精練な白だ。君は、板前だった父の傍で働いた日々を省みる。そして、自分では描いたことのなかった……いや「とても描けそうにない……」と思わされた、細やかで胆の据わった描写に、圧倒されたんだな、君は。
「現場を知った人間にしか聞き取れないと思われる……いくつもの……おれには言葉にできなかった、厳しさや現実が、ここにある……」


その気はない。惚れちゃいない。ただ、上に一部屋空きがあるし、あたしにしても女子供ばかりの家に、男がいてくれたら安心なのさ、と嘯いたのは女のほうだ。
ああ、そうかい、それならおれにしても悪かぁない話だけれど、それにしたっておまえ、おれみたいな物書き志望の食えない男と暮らしてもいいだなんて……まったく物好きだな。まあほんの気まぐれなんだろうし、深くは訊かないよ。帰って荷を作ろう、と高をくくったのは男だ。


「この作品に音が響いているのは、なぜなのか」と、君は考える。
描かれているのは、暮らしと呼ばれる日常だ。温もりや冷たさ、受け継がれてきた料理の技術、出会いや別れのありありだ。声や心、それから音だ。見せ掛けの技術ではない。取って付けた飾りでもない。つぶさに汲み取られる事柄が、透明な注目に選り分けられ、適切に配られ、滞りなくひとつの世界を結んでいる。読み進めれば、そこには老境に差し掛かった夫婦の人生が浮かび上がる。
「だが、それだけじゃない。こんなのは、なにも言っていないのと、そう違わない」


開いていたのは『言語の都市/トニー・タナー』だ。
君はヴォネガットを批評しているブロックを読み、直接的にはつながりのない一文を辿っているとき、はっとする。なぜか、あの小説のなかにあった音が聞こえる。
堅さだ。堅さの音だ。君は気をあてて、その音色を聞き分けようとする。板を叩く金属だ。包丁だ。俎板を叩く包丁だ。俎板は四角い。横長で厚みがあり、多少の力がかかっても、動かないくらい重たい。俎板には手ぬぐいが敷かれ、蛇口から流れる水に濡れている。板の表面にはいくつもの染みがあり、四つ角には斜めのもの、垂直なもの、平らに滑っているものなど、趣のある傷が覗く。あれは、刺身のつまだろうか。それとも白髪葱か。一定の調子に打たれる包丁の腹に、ほそくて白く、瑞々しいものがふんわりと山になっていく。包丁が板にあたるたび、湿気を含んだ打音が響く。
「響く、響く……音が響くのは、そうか、そこが店、建物の中だからだ」と、君は考える。そして、一気に拓けていく。


暮らしをわけて、幾月も過ぎたころ、もつれあって、ふたり、それがはじめてだったのだ、女は、それでも男を窺って、「ねぇ……わたしで、いいの」と、張り裂けそうにふたり、抱いてほしいと言うかわり、月明かりに濡れた体をあずける女、抱いて欲しいと言わせるかわり、穿ちも機微も女ごと抱きとめた男は、身震いや恥じらいの交じり合った躊躇いに指をかけ、しめった襦袢もろとも、一息に剥ぐ。和室には、あつい吐息が漏れる。
しゃん。
ひとつ、鈴の音だ。
それが、川口松太郎の鳴らした『深川の鈴』だ。


建物、家屋、部屋、空間、板、木材、板場、水場、しめられた戸、ひかりに透けるが閉じられる障子、それでしんとする気の流れ ―― 音を響かせる、それら一系。幸田文が『台所のおと』に留めた描写は、音はもとより、音をさせるさまざまな物事だったと、君は思い知る。あたまの中の、ふだんは感じ取れない隙間と隙間の、その隔たりの隙を、それまで読んでいた物語が猛烈にめぐり、めぐりわたる間に反転し、離れれば付いてあらたな形へと生まれ変わる。
「下町だけじゃない。ここに、ちいさく、それでいて無限な日本がある。伝統として継がれてきた日本がある……そういう連なりを聞かせる音……音の響き……響きを生じさせる物事のありあり……」
……日本? 伝統? なにを言ってるんだ、おれは。
君は、おのれの独り言に、誰よりも自分自身が驚き、疑いをかける。
「なんて怪しい単語だ。なにを言ってるんだ、おれは」
君はいらだつ。かつて、君が間近にしていた板場の隅々にまで染み渡っていた、あの匂い、あの暗がり、あの木や鉄や炎の調べ……そこに、君自身が認めざるを得ない、受け継がれてきたものの精霊の姿があることを無視できず、君は憤る。もはや、小説に聴こえた音は、小説にとどまっていない。
譫妄に襲われるようになった老いた職人は、波乱万丈の半生をともにした妻に寄り添われ、しかし、物語のなかでは死なない。そうだ。男の死は、語られない。ただ、死の気配だけを遺し、この小説は終わる。
これは、これこそは……
「この小説のリアリティだ。確かめられない死……」
確かめられない死とは、それは、人が思い浮かべる死、そのものだ。
「んん……雨か」と夫はつぶやく。
寝床に向き、妻は「油よ、揚げ物の」と知らせる。
「ぁあ、そうか。乾いたなぁ、膚が。雨がほしいな」
ばち、ばち、ばち。
二人のあいだを、そんな物音が渉る。





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■0120(FRI)
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こんなことさ、わざわざ君に言いたくもないんだ。それは、ほんとよ。打ち明けるなんてまっぴらだなって、いつも思ってるっていうか、それがあたしの口癖みたいになっているしね。だいいち、君とは知り合ったばかりだし、ああ、でも可愛かった。君はシニョンの似合う子だよね。君がステップを踏むたび、あたまの上にまとめられた髪のぼんぼんが揺れて、それがなんともいえず愛らしいの。うなじに髪がぱらぱらほつれていてさ、栗色のヘア、それがまた色っぽくって。昨日だって、君、舞台の上でも抜群の存在感だったもの。小柄でくりっとした顔立ちで、シュシュもひらひらしていて、ティアラもタイツも、もちろんトゥシューズもさ、どれも君にぴったりだったぁ。あ、やだな、あたし。今日は飲みすぎた。うん。ずっと、お茶だよ。お酒じゃないよ、だって去年の夏以来、あたし下戸だもん。鳴いてるンだ。下戸、下戸。カエルなの。だから、これはカエルのお喋りだから、君は聞き流してくれたらいい。あと、お茶の葉が喉にひっかかっていて、それも奥の方でさ、指も爪も音も、一昨日も明後日も環状七号線も、そんなところまでは届かないから、あたしは欠伸を堪え切れなくて、バイト先で叱られる。叱られるのは、あんまり気持ちよくないでしょ。だから、あたし、これを書きながら、ちょっとあんまり、よい気分ではないんだな。どれも、これも、みんな君のせいだ。




ジークってずるいよね。名前の響きからして、いたずらっぽくてイジわるで、きっと計算のないやさしさがふるえる男でさ、いつまでも大人になりきらないんだ。そういうことには、鼻が利く。逃げ足だって速いんだけれど、それよりも手の方がアレで、なのに手当たりしだいっていう嫌らしさや汚らしさとは無縁なの。野性味がセクシーで、俗っぽさから遠ざける。そういう生まれにあるんだろうなって、あたしはジークって響きを耳にする。

君は、どう。いま本気の人は一人もいないんでしょ。こないだご飯したとき、そう言ってた。だからって、君の言ったすべてが真実だなんて、まあ思ってもいないわけだけれど、あたしは、ぜったいにジークになんて会いたくない。カエルの癖に、まいってしまうもの、きっと。

あのとき、君は白い葡萄酒を呑んでいて、もうかなり顔も赤くなっていた。君は無造作にグラスをつかむと「ドラマみたいな恋がしたいー」なんて、おどけながらグラスを揚げたけれど、でもさ、君はたいして好きでもない男たちの家を泊まり歩くために、かわった装飾のある下着を何枚もバッグに入れるようなスレッカラシだから、ドラマに出るっていったってヒロインの敵役がいいところでしょう。だけど、あたしからしてみれば、嘘と油で黒ずんだ君の爪も八重歯も、あのよく踊る真っ赤な舌も瞳も、どれもこれも魔界の宝石みたいだなって憧れてしまうのは、それは、あたしがカエルだからだ。ああ、よそう、こんな話。それに、昨日君たちが見せてくれた舞台は、白雪姫なんかじゃ、なかったものね。王子様のあのタイツ姿だけは、ううん、どうなんだろうな、あたしは腰から上しか見ていられなかったんだ。


すみません。
これ、お茶の御代わりください。





昨日は君の舞台を見にいく前に、あたしはそれなりに忙しくしていたよ。忙しくしていたというか、またいつもの悪い癖。両隣とはうまくいかなかったけれど、下の階の部屋に住んでる誰かが、やっと相手をしてくれたというか、ビニールのボール、わかる? 子供があそぶような、ちょっと大き目のビニール製のゴムボールなんだけど、って、ビニールなのかゴムなのかわからないね、これじゃ。どっちだろう、ゴム製かもしれない。ぽんぽんよく弾むんだ。よく弾むボールを見つけた。やっと見つけたんだよ、これだったら大丈夫かなって、すごく嬉しかった。いままで、軟式の野球の球だとか、サッカーボール、テニスやバスケットで扱われるボールなどを使ってみたこともあったけど、打ち付けたら怒られたり、無視されたりばっかりだった。昨日は、ゴムボールを床にあててみたんだ、はじめてだったの、ゴムボールを使ったのは。そしたら、下の階から反応があって、床、ううん、下の人にとってみたら天井だよね、天井になにかやわらかくて、それでいて音がするものを何度もあててくれた。そういうやりとりがあったんだ。いちど応答があるとさ、もうそれから夢中になってしまうって気持ち、君にわかるかな。わかってもらえないかもしれないな、いいんだ、それでも、話の流れで言ってみただけ、わかってもらいたいなんて思ってなくって。ただ、君はいつも人に囲まれていて、劇団でも仲間がたくさんいるでしょう、だからなんどもボールを変えて、部屋を変えて、ボールをあてる位置を変えてでも、壁の向こう側に返ってくる音を待つなんてこと、きっと経験ないだろうなって。もちろんさ、あたしがボールを打って、それに対してなにか反応があったからって、相手がなにをどうしたいのか、ただ五月蝿いってこと伝えたくて近くにあったティッシュの箱を壁に投げただけ、それだけだったかもしれないんだしね。見栄、負けん気、下心。そんなの、どれなのか、どれでもないのか、ぜんぜんわからない。なのに、じゃあ、どうしてこんなことしてるのなんて、あたし自身がさ、もう、なんだろうね、わからないってわけじゃないんだけど、その理由、考えてはきたし、それなりに言葉にもなっていて、でも、それだけじゃないっていうか、それだけにもしたくないっていうかさ。引越す前に、その建物のなかで真ん中の部屋が空いてないか確かめて、引越してから、右、左、上、下……ってボールをあててみて、問題になって出て行けって言われたこともあったなあ、なんてぼんやりしながら床にゴムボール弾ませてたんだ、昨日は。そしたら、いちど手元が狂って、あたしボールを受け損ねて、サイドボードに置いてあった湯飲みにボールが当たっちゃってね、お気に入りだったんだけど、湯のみ、粉々だった。お茶が絨毯にこぼれて、欠片があちこちに飛んで。あれは、あたしが気持ちを混めて出した音じゃなかったけれど、その音にも床から反応があった。やっぱり、勘違いするよね、させるに決まってる、あたしの格好が見えるわけじゃないんだし、ゴムボールにしたって、床の下の人にとってみたら、なんの音かなんてわからず、どれがあたしのたてた音なのかだって、わからないもんね。ごめんなさい、って思った。もうやめよう。やめたい。こんな、物色みたいなこと。いい加減引越して、静かにくらしたい。いつもそう思うんだ。なのに、しばらくすると、心の奥の方でなにかが疼きだして、いてもたってもいられなくなって。よく弾みそうなボールを、また、探してしまって。


君は左利きでしょう。こないだ、お箸もスプーンも、グラスも左手で持っていた。だから君は舞台でも左回りのほうが得意なのかなって注目していたんだけれど、そうではないみたいだったな、右回りも上手だった。ながく踊ってきたんだから、よくない癖なんて、ひとつひとつ見つけ出して、どうにかしてきたのかな。




君と別れたのって、まだ19時過ぎで早かったでしょう。だから、あたしあれからすぐに家には戻らず、駅の階段を降りてから歩いたんだ。風がつよくって、手も耳も冷たくなりそうだったけれど、雪が止んでいたしね。広場まで行って、カバンからシートとマッチを出して、立って、マッチを売ってみることにしたんだ。
風が、どんどんひどくなって、駅から出てきた人たち、からだをすぼめたり、襟を立てたり、手をこすりあわせたりって、みんな寒そうで。だから、あたしのところになんて、ほんと、たった一人も。一人もお客さんがなかった。二時間くらいは、そうしていたかな。雪はなかったよ。でも、ぱらぱらって、雨が、小雨がちらついたから、ああ、今夜は帰ろう、かなしいけれどこんな夜もあるって、しょんぼり、そうだな、しょんぼりしながら諦めて、諦めて片づけをはじめたら、左のほうにあるお弁当屋さんから出てきた男の人が、小走りで近づいてきた。あれ、もしかして……って、あたし、ちょっと期待して、片づけの手を緩めたんだ。
「……ふう。もう帰るのかい?」
なんどもティッシュでこすったのか、丸い鼻を赤くしたおじさんだった。
「ああ、はい。こんな天気ですし」って、あたしが言い終わるよりはやく、おじさんはスーツの胸元からマッチを取り出して、
「なあ、これ、いいだろ? 一本だけ、擦ってくれないか」って。
あたしのマッチを買ってくれるんじゃないかって、そういう期待が裏切られたことだけじゃなくって、だってまあ、そんなのはあたしの勝手な思い込みだし、甘えだったんだし、残念だったけど、それはまあよくって、ただ、おじさんの顔がぐしゃって、すごく汚い手に潰されたみたいな、醜い表情だったの、一瞬だけ。
あたし、あたしがマッチ売ってること知ってるくせにそういうこと言うんですかってことよりも、その顔見て、それで本能的に嫌だって思って、無視して帰ろうと思ったの。
「な、いいだろ? 一本だけだから、ほら、これ、これ持ってくれたらさ、なあ、すぐだろ」
お酒に酔ってる人だとか、ときどき絡まれることはあっても、そういうのとはまたちがう嫌悪感がこみ上げてね、あたし、怖かったの。おじさんに、じゃなくって。それまでさ、あたしのなかに、感じたことがない、あたし自身が、見てたくない、感じたくない、なにかドロっとしたものがこみ上げて、それが怖かった。
「なあ、おいぃ」
おじさんは、あたしの左肩に胸を押し付けて、頬でも舐めあげるように、媚びてきた。物腰は柔らかかくて、でも、どんどんちからが強くなって。
「やめてください。仕舞ってください、それ」
あたしは、そう言って拒むのが精一杯で、おじさんに押し付けられるものの圧力と、その大きさを感じるにつれて、ふくれあがっていく、隣り合った肉の塊の、その存在感とに、あたしは潰されそうになって。


それからのことなんか、とても君に、話せない。
あたしは、思い出したくないことを、したんだ。それはもう、取り返せない。




君のジークは、どこにいるの。
「バレエダンサーなんて、見てくれのいいのはゲイばっかりだし、ストレートにしたって、たしかに鍛えてるから体力あるし、身体もしなやかで力もあるから、色々きもち良くなることしてはくれるけど、それにしたって相手のことより自分の裸を鏡に映して眺めるような、うんざりするようなのばっかりだし」
君が迷い込んだ森に七人の小人が暮らしていたら、服も肌も心も擦れた君のことを助けようとするかな。それとも、君から誰かを、健気な少女を、守ろうとするかな。
あたしは、もうずいぶん長いあいだ、鏡でちゃんと自分の顔を見たことがないんだ。


入ったことはないけれど、いい本屋さんだろうなって思ったよ、ここ。
http://number.bunshun.jp/articles/-/188483/
(文/村瀬秀信)
でもさ、「はっきり特色が見える」ことが「よいお店の条件」として言われるようになっただなんて、なんだか貧しい話みたいに聞こえない? あたしだけかな、そう感じるのって。なんか、うらはらっていうか、どうなっちゃったんだろうって。だって、お店ってそもそも、そういうものだったんではないのかな。あんまり特徴もなくて、色も性格もはっきりしないお店ばっかりになったから、特色が見えるから……なんて言われるじゃないのって。


じゃあまた。ご飯にでも行こう。あたしは、君の毒舌が好き。
ちなみに、いま話した事は、カエルのお喋りだから。聞き取れなかったよね、ごめん下戸下戸うるさいね。



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■0121(SAT)
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ナオ、お前さあ。さいきんピザ食った? 今日も雪だし、三日連続よ、もういい加減にしてくんないっていうか。すっげー寒かったじゃん。だから俺、ピザ取ったんだけど食い切れなくってさー。生ハムってダメね、あれ、乾いちゃってるんだもん。風味もなんもないのね。だったらコーンとかソーセージにしときゃよかった。




なんだっけ、俺たち昔ピザとったことあったよね、俺とナオと、あとトシが居たんだっけ? 明け方に集まってさあ、ナオの部屋だったよね。笑ったなあ、あんときダラダラしながら缶ビール飲んで、もう25歳とか26歳とかそんくらいだったっけ、三人そろって次の日会社ズル休みするって話になって、もうこっから全快で行くから! 振り切って馬鹿になって遊ぶから! って始めたのがプレステ2のファミスタだったよな。あんとき何のピザ食ったっけ、あれ、あの夜に食ったのってピザエクスじゃなくてホルモンエクスだったっけ、あれー、そうだったっけ。ホルモンだったっけ。笑ったなあ、ファミスタ。全員バンドしか使っちゃダメルールとかさ、ピッチングはストレートオンリー縛り、みたいな。イチローが球速いの! 足も速くって、それずるいずるい俺が使う! みたいな小競り合いやって、気づいたらもう昼の十二時頃で、べろんべろんでさー、そっからバッティングセンター行ったもんな、青梅街道沿いのさ、ボロンボロンのバッティングセンター、俺らすげー酒臭くって迷惑がられて。バット振ってんだか頭ふってんだかわからないスイングして、すっ転んでゲラゲラ笑ってたら後頭部にストレートくらったんだ、140kmのストレート! いてーいてーいてー! 腸ちぎれて口から出ちゃうんじゃないかって感じだったもんな。そうそう、昨日さあ、安売り屋で瓶入りのコーラ見つけてさ、おー懐かしいじゃんって思って買って、それ飲みきれなかったからピザの真ん中につきたててやった。
「食らえッ」って。食らうはずないんだけど、だって目の前にあるの食い切れなかったピザだし、コーラなんて瓶入りで、出てくるにしたって相当の労力が要るしさ、ましてどっちもジャンクだわなあ、瓶に入ってようと、生ハムだろうとボローニャハムだろうと、そんなの無意味っていうかさ、どうでもいい話だった。
腹へってるなら何か喰う。なんでもよかった。なんでピザにしたんだろ。ぜんぜん美味しくないの。かなしい。ピザのチラシって、ああいうとき思い出すのな、あー腹減った、なんて思ってるとき、ちらって目に入る。まあ、うちには一枚もチラシなかったんだけど。




きのうのFOOTBRAIN観たよ。ナオ、おまえ仕事だったんでしょ、遅くまで。頑張るねー、俺なんか嫁いるのに残業もせずに夜8時には缶ビール飲んでなきゃいられないよ、そのために働いてるもん。でも、あいつさいきん家に居ないんだよな、どこ行ったんだろ。まあ、いいか。
そうそう、FOOTBRAINに奥寺さんがゲストで来てて、おなじくゲストだった都並さんが思い出話してたのよ。98W杯の予選、ほら、カズとか城とか情けない試合やってて、国立だったかな、あんまりにも酷いっていうんでサポーターがバス囲んだじゃん。けっこうヤバイ雰囲気でさ、バス襲撃されんじゃないの、みたいな、あんとき、奥寺さんと都並さんがスタジアムにいたんだって。あー、って、腰が痒い。痒いわあ、今年になって加湿器の良さに気がつきました、俺。だから、加湿器もくもくさせて、ちょっとイイ匂いするオイルあるのよ、それ使ってさ、嫁の部屋と俺の部屋、別々だから、ときどき嫁が俺の部屋に来て、あーなにこの匂いーなんて言われちゃう感じよ、って、まあ惚気だけど、ナオ君もはやく結婚したら? いつまでもフリーでいるなんて、そんなわけいかないでしょ? いくの? 恋人がいればいいって? いやあ、違うよー結婚は。で、加湿器もんもんで温風器とで、俺の部屋すげーあったかい、あったかいのに、痒いんだよ、なんだこの肌。
それなりの歳になってきちゃったかねえ。ガキだったもんねえ、おれらも。制服着ながら大人がすることやるのがとっぽい、みたいなさ、青いねえ。青い青い、青いサポーターが選手の乗ったバスを囲んでさ、あの試合一緒に見てたよな、たしかウチに来てて、巻いたジョイントでぶっ飛んでたから内容はよく覚えてなくって……ああ、そんで、そのあとのニュースかなんかで、あちゃーえらいことになってるねーみたいな、それもゲラゲラしちゃうネタなんだけどさ、もうすっかり出来上がっちゃってるんだから、何見たって面白いにきまってるじゃん。しかもそれがサポーターの取り囲む代表選手のバスなんて、そんなシリアス見せられちゃったら、もう笑うしかないよね。THCにかけてさ。
あんときさ、解説かゲストかなんかで、奥寺さんと都並さんが呼ばれてたんだって、スタジアムに。外じゃバス囲まれてるし、スタジアムも異様な雰囲気になってて、みんな出られなくなってたみたいでね。都並さんが聞いたらしいのよ、ほら奥寺さんはドイツでプロやってたから、いろいろ経験してるじゃない? だから「奥寺さん、ドイツだったらこういうときどうするんですか?」って、都並さんが。そしたら奥寺さんがニコニコしながら答えたっていうわけよ。
「サポーターが暴徒化しそうになったら? そんなの、ドーベルマンを放すんだよ! みんなおっかないからってサーッと道を開けるよ、その隙にダーッてガードマン並べればいいのよ」って。
「うわーすっげえ、ドーベルマンですか!!」って、都並さんもあっけにとられて、番組MCの勝村さんもビビってたよ。
「犬? ドーベルマン?!」って。
うけたなー、スケール違うよな、ドイツ、ドイツ行きたいなあ。あ、そうそう、セビージャ所属のイブスキーこと指宿くんがデビューしたよ、きのうリーガエスパニョーラで。ベティス戦だった。



ナオさ、いつだったか「あいつ見込みあるよ、190cm以上ある日本人のFWで、しかもかなり走れるやつって、なかなかいないし、あいつは気持ちが熱いから」って言ってたよね。ワールドユースのアジア予選かなんかで、結局日本はチキンな戦い方して負けるんだけど「それでも、あいつは戦ってた」って、おまえ言ってたじゃん。苦労したんでしょ、指宿って。日本では高校からプロになれなくって、十代でひとりスペインの4部か5部のクラブに入って、そっから3年? 4年か? 苦労して下部リーグで得点たくさんとって、やっとやっと1部で交代出場! やるねー、若いっていいなあ。試合は1-1のドローで、指宿くんは、まあ活躍もなにもないよ、10分弱だったしね、プレーしてたの。でもまあ、ポストになろうとして、ボールはたこうとして、それなりに動いてた。しかもチームがセビージャだもんな、このゲームはあんまり調子よくなさそうだったっていうか、ベティスがよかったのかもしれないけど……CL狙えるじゃない、セビージャなら。だってチームメイトがヘスス・ナバスカセレスカヌーテに復帰した生え抜きの至宝アントニオ・レジェスだもん! あいつらからパスもらってプレーできるって、セビージャのベンチに毎回入れるよーになったら、あいつ、イブスキー……ひょっとしたら日本代表にも呼ばれるんじゃないの、おお、夢あるー。


あと、ナオ、これお前に。
いい台詞見っけた。


―― 手塚治虫 映画『ヴェラクルス』に
ランカスターがニヤッと笑ってバタッと倒れる  5、6秒のショットが『ヴェラクルス』という映画を傑作にしてるんだよ!  ぼくらもまんがを描くときに こういった点を忘れちゃいけないな! (『まんが道/藤子不二夫A』7巻/292p)


藤子不二夫Aさんの『まんが道』って、いいなーこの漫画。
にしたって、AさんとFさん、あのコンビ……めっちゃ運いいよな。まるで時代に手招きされてるみたいなさ、出会いとか仕事のオファーとか、めっちゃあるのな。神様ってあがめてた手塚さんとも、がんがん会うのよ、町でばったりとか、うちに居なさい、ご飯食べていきなさい、映画行こう、みたいな。産婆だよねえ、手塚さんも。いや、男だから産爺か、って産爺じゃおかしいか。
手塚さんは、一日2.3時間の睡眠だったころですら、300枚か400枚の作品に対して、1000枚書いてたらしーよ、1000枚、それもペン入れで! しゃれならんよね。神っていうか、鬼でしょ。
そういえば、こないだしびれたなあ、白人の絵描きがさ、
「これだ、というものを掴まえたら、あとはもう徹底的にやりなさい。
悪鬼の如く、描きなさい!」って。
くうううう、あうあうあう、あううう! でしょ。
悪鬼の如く!!!


あー、腹いっぱいだ。
ナオ、俺しばらくはピザ食わないよ。ほんと。