聞文vol.1回想録と松田直樹に捧げる散文。




8月4日の土曜日、水道橋にあるスープカレー屋『soup curry Spice×Smile』で『聞文vol.1』開催。
夕立、あがり、蝉が鳴く。
家を出る頃には蒸し暑い夏が戻った。


参加者の半数が「はじめまして」の集まりだったこともあってか、「人に聞いてもらうためにどう読むか……ミスが出来るだけ少なくなるよう……場にそぐわない感じにならないよう……」という構えもあったのか。読み上げに向かい合う雰囲気はいくぶん硬く、ただ一方で、そんな気持ちも楽しめればいい、という柔らかさもあった気がする。
ときおり言い違いや読み詰まりが聞こえるが、これはエラーやノイズではなく、予期も想定もされ得ない、突発的な事故のようなものだ。言い違いの度に現場がわずかに裂けるのだが、当人はそれを処理、修復しようとする。この振る舞いに個人差がある。すこし慌て、もう一文字、二文字を噛む人の隣に、言葉に詰まったとしても気に留めず、一呼吸おいてゆっくりとリーディングをあらためる人が座っていたりする。人間味を感じさせるチャーミングな機会だ。


バカヤローといっているらしい運転手の罵声が二度ほどワーンと聞こえてくる。私はしゃがんでしまう。そのうちに、主人は、またトンネルのまんまんなかを、のこのこと戻ってきた。両手と両足、ズボンの裾は、泥水で真黒になって私の前までくると「みつからないな」と言った。黄色いシャツを着ていたから、轢かれなかった。ズボンと靴を拭いているうちに、私はズボンにつかまって泣いた。泣いたら、朝ごはんを吐いてしまったので、また、そのげろも拭いた。
富士日記武田百合子


リーディングは、自筆にせよ他筆にせよ、まえもって用意されたものを声に出して読む。人や自分の読みに何か感じるところがあっても、会話のようには喋れない。感じたことを、そのまま口に出すのではなく、場を察し、勘を得て、さらには還元したいことがあれば、それを「どう読むか」と「なにを読むか」に託し、場に送り返すだけだ。
もどかしい?
いや、そうとして忘れ去るには惜しい。
そもそも、「会話(発話)には生の声が載せられ、リーディングはテキストに心情をあずけるもの」という区分が錯覚なんだ。
覚えた言葉も、過ぎてきた過去も、刻まれた記憶も、なにひとつ自力で作り出したものじゃないだろう?
それらは借り物であり、出来合いであり、既製品(システムやルール、方法)の集積なんだ。
そう考えれば、よく似ている。
感受した場の空気や意味に刺激を受け、込み上げた情感を発するに、用意してきたテキストを読み上げたり、その調子に託すしかない、というリーディングにおける応答の「ねじれ」が、さきに確かめた人間の会話、その本性として揺るぎ無い「迂回性/間接性」を表象している、ということに気づくんだよ。リーディングが「ねじて」いて「もどかしい」のではなくて、「私」の存在および「私たちのコミュニケーション」が、そもそも「ねじれていて、もどかしい」んだ、と。


・6月。たった2か月前の、私自身のことを考えてみる。
書き連ねてきたブログを観て、2か月前はこのような精神状態でこのような気分だったのかと思うのであるが、いまいち実感がわかない。意外にもかなり過去のようなふうに感じられるのだ。併し考えてみればたった60日しか経っていない。この間何があって何が遷り変わったのか、それでは何が変わっておらぬのか。
5年前、10年前の自分を引き合いに出してみるともっとその辺が分からなくなる。意外にも十年前の感覚のほうが60日前よりも、一瞬にして「現前」してくることがままある。「写真」のなかに居る自分自身は、60日前を含める「今」よりも、まだ私自身になっていないのがとてもよく判るのだけれども、その当時の気分や感情そして思考等はたったの2か月前よりも、何か直観的に嗚呼そう云うことだったのだよなあ、あの当時は。と、ついつい、首を縦に振ってしまうのであるから、不思議である。
要するに過去が「記憶」になると現在との繋がりから何処か一段階違った次元に移行するのであろう。直線的な、現在から直接繋がっている「時間」、つまりは現在の自分が昔ではなくて「今」と云う概念で処理しているところ・・・からある種の「断絶」と云うか「飛躍」をすることで、「過去」としての現前性を獲得するのではないだろうか。
その「現前性」と云うのは、たぶん、所謂「イメージ」である。繰り返すがそれは、嘗て現在から直接繋がっていたのだけれど、その生々しさから切り離され、脳内で改めて再構成しなおされ、凝固し、断片的になりながらも「かたち」をもって生き続けることになるだろう。「記憶」とは、脳内にて「作品」として変換され、そしてシナプスの抽斗の中に大切に保存されているものなのだ。「作品」は、もう完結している筈なのに、だからこそ時間を超して生きており、常に観る者に「イメージ」を「現前」させ、「現在」の感覚に直結する。
「記憶」とはつまり、「作品」であるのだ。「作品」は、「今」から一旦「断絶」「飛躍」しなければ生まれない。「作品」は「今」からの流れから「死ぬ」ことにより、「生まれる」のである。
(エッセイ/山本浩生)


3万人が死んで悲しい、という語り口がある。
そこで言われる「3万人」には1人の人間がいるのか。1人の3万人分と想像されているのか。
3万が悲しくて、1が悲しくない? それはない。1があるはずだ。3万は1が始まりだ。この始まりは足し算で続くのではなくて、おれのなかじゃ1、1、1、1の連続だ。
違うのか? 
今も誰かが死んでる。3万どころじゃない。調べれば地球上では1日に平均で15万人死んでるというWHOの試算も見つかる。3万人を悲しんでる間に、1日経てば15万人が亡くなってるかもしれないんだ。3万人という数がますますわからなくなる。
数は危うい。
大きな主語はもっと危うい。
でかい主語で自分を覆い隠したくなるときは、たいがいナルシシズムの倍化している状態だ。
3万人なら3万倍の自意識だ。
そんな、うっとりするために死者を召還するなんて、冒涜に過ぎていやしないか。
「3万人が死んだ」と連呼するなら、1人の人間がこの世からいなくなった、あのときの記憶、その後の持続、いつまでも消えない感覚を3万人分引き受けるべきだ。おれには無理だ。
生きてるんだ、自分は。
生き残ったんじゃない。
生き延びてるだけだ。
死なずにいるだけだ。
そういうおれに死者を語る資格があるか。
一人の人間が死んだことをどういうか、なにかいえるのか。それすら怪しいんだ。語り口も視点も言葉の選びかたも、すべて死者の鎮魂や悲痛、愛憎に適ったやり方がおれにまかなえるか。わからん。
それでも喋らずにいられなくなることがある。好奇心じゃない。自己憐憫からも離れたい。そうでないところで語りなおそうと思う。その試みすら、戯れに溺れることと違うのかと自問すれば、完全に自律していると言えない。1人の死も満足に語れない。おれには3万人の死を言うなんてできない。1人の死を書くにしたって、誤っているかもしれない。間違ってるかもわからない。夢に化けて出られても仕方ない。
だが、それでもやるんだ。
今はそう思う。思っている。化けられるかもしれないが、1を語る。自分についても、彼についても、彼女についてもだ。非難も抗議も、無論引き受けるという気持ちでいる。
かったるくて、誰かに任せてしまいたくて、しちめんどくさい気分に陥るが、止めるのだけは、止めよう。
まず、1をいうんだ。
まず1をいうことより先んじることなんかない。
下手も巧いも浅いも深いも、どうだっていい。
どうだっていいじゃねーか、そんなこと。


はなをこえて
しろいくもが
くもをこえて
ふかいそらが


はなをこえ
くもをこえ
そらをこえ
わたしはいつまでものぼってゆける


はるのひととき
わたしはかみさまと
しずかなはなしをした
 (谷川俊太郎/「はる」(写真ノ中ノ空から))


もどかしい。
言っても言っても言い足りない。
言い足りないだけでなく、言いたいことから離れていく。離れていく最中に別の言いたいことが浮かぶ。それまで言いたいと思っていたことの形や色がかわり、あらたな言いたいことと混ざり、質をかえ、別の何かになる。それら全てが同時進行する。交代する。ときに後退する。後を引いた跡にはまた別の言葉が落ちている。それは欠片だ。断片だ。素粒子だ。ひとつひとつが生きていて扱い切れない。触れればまた色をかえ、近づけば形があらたになり、消えたり去ったりする。
もっと簡略的に説明できるのかもしれない。
今日のおれはそこまで届けない。
今日のおれのせいかどうかわからない。
明日になればよりこんがらがるのかもしれない。こんがらがったり、遠ざかったり、回り回りしながらでしか話せないことかも知れないし、そうであるならばこのような筆記の試みも無駄ではないが、端的に言い表せるはずなのに、たんに技術や経験、資質が足らなくていつまでも適わないのなら、救われないよな。


……救われない?
だからなんだ。
アゴタ・クリストフは教えてくれたよ。
「書くことが救い? いいえ」と前置きし、彼女は告いだ。
「たった一度だって、救いにはならなかった」


澄んだ水でいっぱいのプール、その周りには白いテーブルとチェアがあって、ジャージ姿の男たちがはしゃいでいる。
秋田豊が手を叩き、中山雅史が飛び跳ね、稲本潤一明神智和が合いの手を挿す。
2002年日韓ワールドカップを直前に控え、懇談会を催した日本代表チームの風景だ。
この日ばかりはと冗談を言い合い、ハメをはずす代表メンバーたちから少し離れたところで、中田英寿はくつろいでいた。それを、10代から共に闘ってきた松田直樹がいじる。
「中田が飛ぶーぞ 中田が飛ぶーぞ 中田が飛ぶーぞ」
松田がコールを煽る。
中田がやめろやめろという顔をするが、すでにプール際に追い込まれている。
5.4.3.2.1……水しぶきがあがる。


松田直樹は2000年代の日本を代表するサッカー選手だった。
ポジションはDF。ゴール前で敵の攻撃やアクションを潰し、失点を防ぐプレーが最優先されるこのポジションにあって、松田は攻撃的で目立ちたがり屋、そのあべこべな雄姿は、ルールのあるスポーツにおいて、矛盾というより開放や反逆の性はもとより、革命性をも感じさせた。もちろん日本では希少種、海外の一流選手にも通じるオーラを放つ選手だった。
事実、チームメイトばかりかライバルからも「日本で唯一、海外リーグで活躍できるDF」と賞賛を浴びた肉体と、無精ひげが似合うワイルドな風貌は人目を惹いた。だが、この不世出のDFと共にプレーした選手が口を揃えるのは、彼の心の優しさや細やかな気配りだ。また、真っ直ぐな性格は二枚舌や建前が孕む厭らしさを拒み、何人もの監督たち ―― トルシエジーコなど歴代の日本代表監督とも繰り返し衝突した。口喧嘩が表沙汰になり、代表を追放されたこともあったし、自ら合宿地を離れた事件も一度や二度じゃない。
情熱、コントラストの強烈な自意識、比類なきパーソナリティ、ときにトラブルを招くほどの誠実さ ――
このような松田のキャラクターとプレースタイルはカリスマに富み、背番号3番といえば松田直樹、クラブでも代表でも抜群の人気を誇るチームのガキ大将だった。そして松田もまた、ファンとチーム、フットボールを誰より愛した。


スカパー、民放にBS、早朝深夜問わず放送されるフットボール中継と雑誌やネットの記事だけが、深酒と睡眠障害を煩っていた不感症の学生=モラトリアムにとっての刺激だった。時はまさに松田直樹の絶頂期《キャリアハイ》。日韓ワールドカップでも日本代表の屋台骨としてプレーし、そのポテンシャルの実現が、ままA代表の成功につながる印象すらあった。あの頃はまだ、私はフットボールを書くという将来を、心のどこかで夢見ながら、観戦メモをとった。文面は走り書きで埋まった。決まり事にうるさいフィリップ・トルシエが率いる日本代表チームにあって、抑えられた獣性をぎらつく両眼いっぱいに湛え、ときに拘束や規律から図らずもあぶれてしまい、その姿が味方を、ファンを、私を魅了する松田直樹の姿が、もう辿れない乱れた筆の跡に残像した。


2010年。
全盛期と比べれば松田の肉体的な衰えは明らかだったが、このシーズンも所属する横浜・F・マリノスの中心として闘った。が、シーズンオフにクラブから解雇通達を受ける。
対応、タイミング、伝達の仕方、どれもが非礼にあったと伝えられる経営陣の態度に、サポーターが激昂する。
16年もの間、クラブのシンボルとしてプレーし、マリノスに骨をうずめたいとまで言って尽した松田選手に対し、あまりにも無礼だ、撤回しろとスタジアムは怒りに沸いたが、クラブ側の翻意は得られず、別れのセレモニーが催された。スタジアムに集ったサポーターは一様に極まり、嗚咽するファンのジャージは涙で色を変えた。
壇上にあがった松田がマイクを手に取る。
「いやぁ、チャブられました。いらないか(笑)16年間、本当に生意気でわがままな自分を応援してくれて本当にありがとうございました。おれは馬鹿でずっと生きてきましたけど、みんなが応援してくれたから、マリノスでの1試合1試合は気持ちを込めて戦ったと思うし、もちろんオレにキレた人もいると思うけど、みんなの声援が自分の力になりました。マリノスのサポーターはマジで最高っす。今ここで喋ってますけど、社長みたいに頭良く紙に書いたりも出来ないし、こんな時間でみんなに対しての気持ちは伝えられないんですけど、とにかく、みんなが何回も言うけど最高としか言えないんで。あとは、本当に感謝の気持ちしかないです。ただ、もう何言ってるかわかんないけど、ただ、おれ、マジでサッカー好きなんすよ。マジで、もっとサッカーやりたいです。本当にサッカーって最高だし、まだサッカー知らない人もいると思うけど、オレみたいな存在っていうのもアピールしたいし、サッカーって最高なところを見せたいので、これからも続けさせてください。本当にありがとうございました」
別れの言葉だった。


マリノスを退団し、松田が選んだ行き先は、長野県松本市を本拠地とする「松本山雅」。
J2やアジア地域のリーグなど、いくつもあったというオファーの中から、日本では3部にあたるJFLリーグへの移籍に多くのファンが驚いたが、松本山雅というクラブを自分が引っ張り、このクラブをJFLからJ2に引き上げ、やがてはJ1に舞い戻る ――
自負と反骨の心に貫かれ、どこか少年っぽい夢もある、これぞ松田と言わしめる決断だった。


その松田が倒れた。
練習中に?
どうやら、悪いらしい。


1993年、日本でU17のワールドカップが行われた。
第一試合、ガーナ戦。
大粒の汗で光るガーナ選手の肉体を見れば、日本人の筋肉とは質が違うことが、なぜかよくわかった。飛べば頭一つ、いや二つは高く、伸ばされた足は鞭のようなしなりを見せ、日本チームの面々が必死に追いかけるボールを悠然と物にした。
特に若年層において、日本選手とアフリカ選手とはフィジカルに違いがありすぎ、押し合いや競り合いに痛々しいまでのギャップが見られことも少なくない。
この試合も劣勢だった。だが、松田は違った。
よーいドンで競争になればガーナの選手に負けないスピードで食らい付き、体をあてれば敵が倒れ、ときに倒されても睨み返し、勝つまでやるんだと咆哮しているかのような眼差しに、抜群の将来性を期待させた。
以来、場をかえ試合をかえ、松田に見せられたのは光の透ける未来だった。


それが、なんだよ。倒れたって、なんだ。数日前、山雅に移籍した会見で笑ってたじゃねえか、おい、松田、返事しろよ。


松田直樹は山雅でのトレーニング中に急性心筋梗塞を発症。
意識不明の重態で病院に運ばれ、2日後、帰らぬ人となる。
34歳だった。


訃報を聞き、何かしないではいられず、黙祷の意を込めてマーク・ロスコの作品をブログに貼り付けたりしたが、ごまかしにもならず、浮かんでくる感情は言葉に留められなかった。
聞文のリーディング用に何か書こうと思ったとき、松田直樹の顔が浮かんだ。
およそ一年が経っていた。


負けず嫌いで、競争すれば一番じゃなきゃ気がすまず、向う見ずでタフでドラマティックでありながら、いつもどこか物悲しかった。淋しがり屋だったから、遺されるのを嫌って先に、誰より早く逝った。わがままで、不器用なやり方で、忘れないでくれよとはにかんで、トレードマークの背番号3に託したのか、マリノスの、代表の青を、永遠を。それなら、あんたらしかったってことなのかな。


耳を澄ます。


夜蝉が鳴いてる。


聞文の開催日は、はるばる神戸から参加してくれると返事をくれた西田さんに、スケジュールを聞いたうえで、ピンポイントで決めた。
偶然にも八月四日。
松田の命日だった。
(背番号《ゼッケン》3、永遠《あお》に透く/黒川直樹)


先人たち、巨人たちの背中の嘘みたいな大きさは、近いところに行ければ行けるほど、より強烈な絶望感として聳える。
でもな、もう十年、このまま走り続けられるのか?
それはきっと無理だ。怖じ気づいている時間なんか、もう残ってないんだよ。
明日とか未来とか、そういう青臭いもの、かび臭い言葉を信じ、渡された襷を次の担い手に渡すべく、行くところまで行くしかないんだ。
……明日?
実のところ今日しかない。今しかない。今にしたって在るのかどうか怪しくってならん。
それでも顔をあげ、震える脚を叩き、やれることをやる。
声をあげなければ、ゼロだからな。


そうだ、ゼロだ。


だらだらしていられるなら、それが楽にきまってるじゃん。
何にもやらず、誰かに運んでってもらって、やすらかにくたばれるなら、あたしだってそっちを選ぶわっての。
だけど、そんなのってある? あり得ないっしょ。
すぐ風邪ひくしお腹は下すしさ、なんなんこれってうんざりさせられることもしばしばだしね。しばしばだよ、しぱしぱ目をしばたたせたくなるもん。しばしば、しぱしぱ。まあ、だからって思いつめたりはしないんだ。タフっていうよりも、それは倫理観……っていうか、マナーだね、マナーなんだ、あたしの。
「わたしを対立項の向うに据え、自分と比較した奴はぶち殺す。ほんとに頭にきたら、法律がどうであれわたしは殺る。不当だと思う。差別よりも遥かに侮辱だ。私と自分を比較することで救われようとしたり、自分を楽にしたなって思わされたら、そいつを殺る」って言った人がいた。
語気は荒いのに心は冷たかった。そのギャップに戦慄して、一時期あたしにしても自分のなかにあった比較や差別には神経質になったし、そうすると被害妄想も酷くなるんだ。
“あたしも誰かに……そんな相手として使われるんじゃないか……”
さらに数年たって、あたしの場合は成長っていうより諦めだったろうな。
自分の体とか心のしんどさはしんどさとして自覚するけど、それは相対的じゃなく絶対的、主観的、人と較べて自分がどうこうと考えることは、ほんとに少なくなった。
自分よりきつい状態で生きてる人たちがいる、という設定は今だってデフォルトだよ。
これは差別っていうよりフラットでリベラルな想像力だと思う……って自分で言うのもアホらしいけど、たぶんこの話をCに聞かせたら、
「あんたは変らなくていいとこが変わったし、変えたほうがもっとよくなると思わせたところはそのままになってる」って嫌悪され突き放され、ほどよい距離ができた瞬間、言葉なしに刺し抜かれるってわかってる。あたしダメだなーって思うもん。がんばってるけどさ。ダメなところたくさんできた。心だけで人のこと好きになれなくなってるとか。100円ショップのものだけでキッチン整えちゃうのってなんかダメかもな、なんて思ったりするし。バカでしょ。ダメじゃないでしょ? でもつまんないこと気になってさ、ダメだなーて。



・●西田博至
「私は、喉を震わせて、声をだして読むことに、ほとんど興味がない。私にとって読むとは、黙読すること、目玉で静かに、印刷された活字の列を読み続けることであるからだ。
ときどき、目玉が文の列を上滑りするとき、頭のなかで読み上げることがある。しかし、そのとき聴こえる声は、私が日々の暮らしで見知っている声ではない。たぶんあれが超自我の声だろう。
話すように書くのではなく、読むように書くことだけが、そして、そのように書いたものを、書きつつあるものを、黙読する目によく耐えるようにすることだけが、私の関心事なのである。
広く云うならば、私は演劇的な振るまいを好まない。私は、この期に及んで、まるで歴史なんぞ存在しないかのように、したり顔でのし歩く人間が嫌いなのである。その認識の欠如したパフォーマンスを、私はつまらないと思う。私の愛する文藝は、いや、あらゆる藝術は、人間のドヤ顔を一瞬で凍りつかせる、「世界」の開示に向かうものである。それを志向しない藝術など、私にはまるで興味がもてない。


黙読するのではなく、声を出して或る文の連なりを朗読するとき、そこで起っていることは、文の独占である。


……私が書くことを始めたのは、こんなふうだったはずだ。黙読することを覚えて、文字がびっしりと詰まった長い本を読むことができるようになり、やがて、じぶんの裡に、目玉を通して溜め込んだ言葉が袋いっぱいになったからであり、見よう見まねで、それらを私は紙に書き出すようになっていたのである。
そうであるなら、それがどうして私の言葉だっただろうか?
それは私の言葉ではなかった。
思い出してほしい。
私はだれかの言葉を黙って目玉で読み続け、それにすっかり覆い尽くされることで、書き始めたのだ。泳げるようになったのではない、溺れたのである。
それは、書くことをしなかったそれより以前の私の何かが、すっかり変質させられてしまったということである。
それより以前の私が無傷で残っていて、その私に新しい機能が、書くということがプラスされたというのではない。
それからずっと、どうしてだか私は読むことだけは続けてきた。しかし、目を輝かせて、私は本が大好きなんです!というひとをみるとたじろいでしまう。私の部屋は本で溢れてぐちゃぐちゃだけれど、あんなふうに云うことはできない。本は読めればなんでもよいというのではないし、古本でも、できる限りきれいな本を安く手に入れようとするけれども。ともかく、読むことの積み重ねがやがて書くことに向かわせる、というのはずっと変わらなかった。しかし、書くために読んでいるというのでもない。もちろん書くために、または書きながら読む資料もあるけれど、それにしても、その資料の面白さに唆されるようにして、書いている。


読むことは、いや、読むことだけが、私に、私だけの言葉にしがみつくことを諦めさせる。だれかの書いたものを読む、とは、他人の言葉とは銃弾のようなものだから、私の言葉を穴だらけにする。そもそも、そういうものでなければ読むことへの畏怖を抱くこともないだろう。じぶんのそれまでの言葉が掻き乱されたあとで、私は、ようやく書くことができるようになる。考えることができるようになる。


読むときに、私は黙って読む。書くときも、私は黙って書く。このふたつは互いの尻尾に噛みついている蛇だ。それぞれの口はそれぞれの尻尾で塞がっている。


誰かに恋をするのよりずっとはやくから私は書くことを覚えたようだが、最近ようやく、じぶんの文体のようなものを感じることがある。だが、それを見出すのもまた、(どうやら)じぶんが書いたものを、既に書かれたものとして、事後的に黙読するときに、である。私が私の文体をみつけるのは、書いているときではない。かろうじて、私の文体はある、ということはできるだろうが、私だけの言葉などというものはないのである。


ごく最近、また現代の小説が読めるようになってきた。ページに溢れかえる、無害ですかすかの言葉にすっかりうんざりしてしまって、もうずいぶん長い間、ほんのわずかな例外を除いて、小説を碌に読んでいなかった。私の言葉の組成を揺るがすことのない他人の言葉。そんなもの、どうしてわざわざ読みたいと思うだろうか。私は本を読むのがあまり早くない。私が現代の批評の流行を追うのをやめたのも同じ理由からだ。諸根陽介君の言葉を借りるなら、「どーでもいい」からだ。
しかし先日、ジョナサン・リテルの『慈しみの女神たち』という長い小説を読んだ。五年くらい前にフランスで出版された小説で、本当に久しぶりに小説を読む喜びを味わった。朝から、重たい本を抱えて歩き、眠りに落ちる前まで、ずっと読んでいた。屡々、福音館書店から今も出ているヴェルヌの『海底二万海里』を読んでいた小学生のときのじぶんの姿を遠くに眺めるような思いに捉われながら。
しかしこの小説はそんなノスタルジィとはまったく無縁である。
無数の人間が登場し、厳粛に、どたばたと動き回るが、それはやがて、私たちが決して縮減しえぬ「世界」を黒々と暗示することになる。そんなふうに現代の小説を、まだ書くことは可能なのだ」



小火に薪をくべ、うちわを煽り風をはたき、小さな爆発が熾れば傍に新たな火がまた燃えて、徐々に徐々に火柱が膨れるキャンプファイヤー ―― そんな燠火を眺める心地に近かったかもしれない。
リーディングがはじまって90分が経った頃には、「それぞれに好き勝手やればいいんだな!」という開き直りと、自分が読み上げるテキストの文意・印象および、それを読む声に具わる魅力や効果のハーモニーが場のグルーブを変質させ、「ここにしか聞こえないもの」とじかに繋がる心地よさがあった。
ふだん、体(に縁取られる自意識)に囲われている感覚がひろがり、お店に置かれた机やコップ、白い壁、その固さ、脆さ、響き ―― 意識の先端は扉の向うに透けて見える道路の線にまで達し、指先に念をこめれば血管がじんわり温まるのとそっくりだ、コップの雫だとか道路標識を見つめると即座に、具体的なイマジネーションと感触が肉感的な応答を返す。


遠慮がちだった音読みに声が通る。
読み始めのタイミングだとか、手に取る作品の選別にかかる意識からも放たれ、順を待たない読み声がリズミカルにあがる。
小説や詩、絵本だけではなく、手持ちのケータイを操作して、ツイッターの文面やWEB日記を読む人があらわれ、自由度があがり、開放性が広がる。
ここに至るまで、読み上げられる別個のストーリーがひとつの物語に聞こえるとか、唄のように響くのに耳を澄ませた時間帯を、参加者全員で共にしてきたからかもしれないけれど、それぞれが個人的な興味やリズムに徹するほど、場に生じたグルーブはより熱いものとしてうねって、刺激と発想のチャンスがもたらされた。
それは、秩序の誕生から自律までもを見守り、かつ分け合ったからこそ得られた結束感だったし、一人一人の声の帯が連なる ―― 文字通りの連帯感だった。


小屋の真中の勇ましい希臘《ギリシヤ》の彫刻に手鞄を預けて歯朶子と男の逢《あ》い曳《び》き――いきなり歯朶子は男の頬をびしゃりと叩いた。そして黙ってすまして居た。
「ひどい。なんの理由もなしに………」
 性急にどもり乍《なが》ら男の声は醗酵した。
「あんたがあんまりおとなしいものだからよ。口説《くど》いたのよ。ここのうちの青熊が」
「青熊というのはここのうちの主人ですね。よろしい」
 男の略図のような単純な五臓六腑が生れてはじめて食物を送る為以外に蠕動《ぜんどう》するのが歯朶子に見えた。男は慄《ふる》える唇を前歯の裏でおさえていった。
「僕はここにある石膏をみんな壊してやる。それからあなたの職業を外の家にきっと探して来る」
 その次におかみさんに逢ったとき歯朶子はいった。
「ありがとう。塩はほんとうに利いてよ。あの人に情が出てよ」
 おかみさんは前に自分の云ったことを忘れて居た。そして歯朶子からはなしの全部を聞いて驚いて仕舞った。
「あたしゃ、でたらめに塩をつけたらと云ったのに、あんたはほんとうに塩をつけて喰べたのね。なるほど男に塩をつけるってそうするものなのね」
 その晩おかみさんは亭主に云った。
「へんなことがあるんだよ。おまえさん。歯朶子の情人があたしのようなものを口説くんだよ。本気でだよ」
 安ウイスキーを嘗《な》めて居た亭主は全身に興味の鱗《うろこ》を逆立てた。
「そいつあ、面白えな。色魔だな。うまく煽《おだ》てて石膏の一つも売りつけてやれ。売りつけねえと承知しねえぞ」
 その翌朝いやいや亭主に連れられて売付ける石膏を極《き》めに物置へ行ったかみさんは、勇ましい希臘の武将の石膏像の一つが壊されて居るのを発見した――ごく臆病に肩の先だけちょっと。
(百喩経/岡本かの子


声がする。誰の声だ。わからないが聞こえる。知った人間の声音だ。しかし誰の声かわからないのだ。会が始まった頃には、人の声は「自分とは違う」「別の誰かの響き」「“聞こえて来る”という状態が“向う”だとか“あっち”だとか“他者”のあること」を知らせた。声は、人と人との間に在る「分断」や「境界」を告げる響きだった。
その響きがかわった。
自分の喉や声帯を通過しているものとは違い、意図も抑揚もままにならないが、それが自分の心のなかに響く音に聞こえる。だからと言って安易な連帯とは違うんだ。おれとその声の主が一体となっているのではない。向かいの人の心の声を、向き合って心で聞く。読み上げられる文面が、黙読する言葉とはまた別の流れとして聞こえる。それが心音とまざる。まぜられた心音はおれの意識だが、“おれの意識”として省みられる臨場感は、すでにおれの意識だけに拠らない、という感覚が分裂ではなく、連結や連綿、そして混ざり合った気体のように把握されるんだ。鼓膜がふるえる。だから心の声でないと明らかになる。ふるえが、鼓膜のふるえが他人と自分との「/」という機能から、いまや自在だ。自意識と無意識、人の無意識と自分の意識、自分の意識と人の無意識……それら対立項をあらためさせ、また攪拌し、拡張し、言葉に仕切れない広がりや深みのある趣として感じとらせてくれる。
いや、感じ取る、という意識はない。
鼓膜は仕切りではない。
中間や境界を成り立たせるだけでもない。
おれはここで、感じ取る、そのものになっている。


うん。こないだRと会ったんだ。
おぼえてる?
懐かしいでしょ、そうそう。
別れて十五年、さよならして十年だった。
Rには子供がいるんだよ。
あたしと別れてしばらくして、旦那さんができたの。
歩き始めたばかりの女の子でさ、今は旦那とは離婚して1人で子供を育ててるんだけど、写真見せてくれてさ、可愛かったよ。
「ペコちゃんか? この髪型」ってRに言ったら、
「ちがうよウチの子は“なんとかかんとか”っていうアニメが好きで、その主人公とおなじ髪型にしてっておねだりするから、切ったり巻いたりしてあげてる」って。
「あ、あたしあの頃、美容室行ったことなかった。Rって髪切るの上手だったもんな」
「でしょー。ちゃんと感謝してる?」とRはハニかんでさ。
「してる、してる。でも一回……いつだったけ? 一箇所だけバツっと切られて」
「んー? そんなこと、あったかなあ」
「あったかなあ……だと! 笑われたんだぞー次の日の会社っ」
「うふふ」
「いまでもほら、ここだけ短い」と左耳のうしろを見せる。
「え? うそ」
「うん。うそ」
「もー」と言って、Rが困ったような、照れたような顔して。
それから「美容室って高いね」という話になった。
「暮らし? ぎりぎりだよ、うん(笑)まだお洒落もしたいし、美容室も行きたいもん! でも、まあ今はね、わたしは我慢できる」
Rはケータイの写真を見た。
「この子ね、不自由ないようにしてあげたい。大学でも海外でも、希望したとおりに支えたい。あと何年、元気でいられるかわからないけど、やれるだけやりたいし、なんで私がって悔しい気持もあるけど、そんなこと言ってる暇もないしね」
自分の足で立って、仕事を覚えるだけで目一杯と悔し涙していたRの横顔は、あいかわらず綺麗だったけど、まえには無かった柔らかさや細やかさに富んで、覚悟のようなものも透けて見えるようだった。
「声かけられてるんだぁ」
「声?」
わかんなくて、あたしそう聞いた。
「物好きがいてさ」とRが言う。カクテルグラスが水滴で濡れてる。
「それ……人としてどうなの?って趣味の男がいてさぁ。彼にはすでに地位も名誉もあって、だからお金も持ってるんだよね。いっぱい持ってるの(笑)ほら、で、わたしけっこう美人じゃん?」
はいはい、わかってるよ、ってあたしは言う。
「彼、そういうお前が、っていうの」
「ん?」
「うん。そういうお前が、これから不幸になってくかどうか、そんなことには興味がない。ただ、俺はお前が見えなくなるまでの時間と、見えなくなってからの時間、どちらも自分のものにしたいんだ。そういうお前が欲しい、独り占めしたい、って」
R、目を患ってさ。タイムリミットは薬や治療で先送り出来るとしても、だめなんだって。見えなくなることは決まっているって。
あたしは、そうかあって言った。それから、左胸の、そこは一番いけない、という奥深いところに刺さったCの剣を見下ろした。
“あんたは変らなくていいとこが変わったし、変えたほうがもっとよくなると思わせたところは、バカみたいだね、野放しのままじゃねーか”
わかんない。
今だけじゃない。
過去までが痺れ、身動きがとれない。


これは ほんとの おはなしです。


ひろく あおい せかいに
ももいろの こつぶ ひとつ。


ひろくて こんぺきの 海のなかで
その ももいろの こつぶ ただよいながら あそびました。
おどっていました。


この ももいろのこは プラヌラといいます。
(エリセラさんご/ピーター・ハリソン(著),水木桂子(著), 和田誠(絵))


参加者の一人がメールをくれた。
「はじめ、みんなが読み上げるストーリーがごちゃ混ぜになって、それが楽しかった。つぎに、音だけに集中できるようになって、また時間が経ったら、音色、テンポ、行間、誰かと誰かの読む間のま、誰かが読んでいるときに他の人が氷をカラカラ鳴らしてる音とか、そういうのまで面白く聴こえるようになって。あのサロンの時間全体が、電車の中で個々にケータイとかDSやっている人たちが、示し合わせたわけじゃないのに、突然順番に自分の読み物を語りだしたようなパフォーマンスに見えた。
時間が経つにつれ、ストーリーを伝えることではなく、そういった空間に自分の朗読をどうはめるかを考えるようになったから、わたしは読むことに決めていた作品を、最後まで読まなかったんだ。
ほとんどが今日はじめて会った人たち同士、ひとつのテーブルを囲んで、読書とかしてたんだなぁと、妙な光景をしみじみ思い返しながら、このメールを書いている」
(黒川による構成、意訳。全文はもっと豊かだった)


聞文の企画・呼びかけ人として、非人称的な文体に徹したイベントレポートにするべく書いていたら、超個人的な回想録になった。
参加者それぞれに、黒川とは違った感想があるはず。気になる方は、ぜひ尋ねてほしい。
(参加者はツイッター《ID:@alta_xxx》から辿れます。この記事のなかでは参加者の名前は伏せているけど、ツイッターのRTでのやりとりは公のものなので、おれのIDのリンクだけ貼っておきます)
そして、今度はあなた自身で確かめてください。
次回の予定が立てば、お知らせします。
(構成・編集・文責/黒川直樹)



参加してくれたみんなとMAO&YAYOI、そして松田直樹に。




――――――――――――――――――――――――
 聞文で読み上げられたテキスト
――――――――――――――――――――――――


月の砂漠をさばさばと/北村薫
「花火」/岡本かの子
「金魚」/岡本かの子
高橋朝氏の呟き(twitter
写真ノ中ノ空/谷川俊太郎
西田博至エッセイ
山本浩生エッセイ
クリフォード なつのおもいでの巻/ノーマン・ブリッドウェル作 もきかずこ訳
コーラルの海/サイモン・パトック作 スティーブン・ランバート絵 かけがわやすこ訳
エリセラさんご/ピーター・ハリソン (著),水木 桂子 (著), 和田誠 (著)
小鳥たちのために/ジョン・ケージ著 青山マミ訳
etc……