とある展覧会のあとのスケッチ。




アピチャッポンあきちゃん、
沈黙するカンバスとローカリズム&普遍性・人間性、とても命日に喩えられている
もうすこし続く終わるために行く胸を張って


1.東南アジアの土着的な文化・背景・宗教観生命観
2.核心を突くアートの行ききったところに感じ取れる普遍性や本質


1と2との行き来、見ていると心のなかに明滅するんだ、ローカリズムと普遍性が
爆発する爆竹や閃かれるフラッシュによる光線・閃光の点滅/明滅に印象は左右されるけれど意識や認識の内部には上の行きかいが激しい、わたし


はい、恋、人と動物
たまにお猿、犬
太郎はいない桃
あとはキジ・キジの話はなし
接写され
近い
遠いこともあり
見えて、いて、見えなくて
なにもかも偶然の運びなんて嘘、そんなのは嘘
カメラは据えられているし
仕掛けはたくさんほどこされていて
それを撮ろうとする意志もあるのだから
しかし「全貌」という先入観への批評性が強烈だ
全面的な把握だとか細部への操作、意志通りに遂げようとする創作を反省しろ
魂や命、生体にとって意志はノイズ?


なぁ、そいつ、花火の音と色、爆発させろ砕けろ


映像に、この音、出している……という事実・編集する、フェス、数秒のシーンから構成される映像の作品
して、自分でそれを貴している、角度やしんど、振動と震動・交錯する、交差する、交われスポットライトを使いモデルを口の下で、使われていることと光のずれ、それは偶然でもあり、捜査・編集されている時間だ、操られている誰に? 
操られている、誰に?





すべて、適う、それは嘘


だけど、つながれた手のシーン観て、交尾する猿のことを思ったりもするんよ
群れた狼が新竹みたいに揃ってる
群れた狼は石造りだから動きも育ちもしない、むしろ風雨に削られていく、のに、伸び盛りの竹のように、だ、あきちゃん? 君は夜をカンバスにする、みんなが明るいところを前提とし、光のもとからはじめることを省みることもなくなっていて、キャンパスはしろだし、描く場所も撮るところも基本的には明るい、昼、見ながらやるんだ、そうやってきた、続けてきたところだったのに、君はバラした。


見えるところから始める人と、見えないところから始める人がいて、君はもしかしたら、とっても最初だったかもしれない。





どれも、測る、なんて嘘


花火 ―― 狙って光を音を作ることはできないんだよ。どこが明るくなるかなんて予測でるはずがないだおうろ? 来ない。花火わ、焦げ、後、火傷するだけ、ど。音、ね、光、と、それから熱のと問題がある。演奏のような延焼をイメージしよう。可能性と危険性との割合を引き算で足そう。


火薬の量を嗅ぐんだ、煙やきな臭さじゃなくって、


どのような火花が光が散るかなんてわからん


ひばなや光の形や量をコントロールできるはずないじゃんな


ただ嗅ぐことはできる、嗅ごうとする、そして鼻のさきをいため、鼻のうちが焼ける
焼ける毛、焼ける皮膚、焼ける管の音だけの響く夜だな、


あとはもう夜に任そう


沈黙こそが君のカンバスだあきちゃん。
それは絵画への批判ではない。あくまでも提案で、愛や流れ、親と子に火曜、それは血、ぬるくてやわらかい暖かさによってプロポーズされる陰影だろうなんて星のように永遠ではない。きらめく、というのも嘘だ。すべて、叶う、なんて嘘 ――
真音に意味、人物、モチーフ、モデルが変わる場所も変わる
点滅。映写機、映画(元夜を捉えようとしている
消えているところに、たまに、点く。この割合は日常からいうと反転していて、あきちゃんは目を凝らす。
光を目撃し、それを、あたかもわかっていることかのように「光」と名指しすることの浅薄さを爆竹にこめた夜の思いでも一緒に解き放って。


―― そうだビチビチ爆ぜる、目撃した。おれは見て、ここまできたよ。誤解きた。まったくだ!


音と光がいつまでも仲良くしていると思うな」


わかってる
と、いいたい
いいたくなるんだ
癖だから
嘘のように癖
嘘のくせになんだ、なんなんだ!


映像作品はシーンの繋ぎで構成される。
はっきりとしたストーリーがなくても、こんなに抽象度の高い時間や景色・運動が感じとれる、さっき、あきちゃん、おれは君が夜や闇、沈黙をカンバスにしたと書いたけれど、それは至らない ふたりのライブ暗がりでやろう 手元に たいてい 小さなライト ことのするところに1人、光が、伴って、声が、聞こえるところに明かりがあり それは希望の一形態壊したの 火薬の量は調整できる、でも風や空気の質は読めないし、仕掛けたとおりに爆ぜるかといえば、たとえば愛のように、それは、それは あくまでもベースは無音に置かれる。


音と光とか軽々しくいうな沈黙の仕方も知らないくせに、なんだ





明の本当、
こんなにも、
多種多様とわかる気になるな気になる火花シャッターフラッシュスイッチなど。どれも仲良くしている音が違う。
シンクロしているようで巧妙だ。ズレ。光ればそこに音が聴こえ、音が聴こえたらなにかが動いているということを期待しているのは刷り込まれたから? 誰に尋ねたらいいのか? 光から別れた音があるかもしれない。音と離れた動きがあったらどうする。あきちゃん。君のせいで空回りする光を聞いた、さっき。あるはずの ―― とどくはずの音がいつまでも聴こえず、光だけがイっちまったよ。


たとえば、花火わ、時にマシンガンのような音に聞こえる爆薬爆弾閃光


また、これはレクイエムでもあった。殺された人々がいたんだろう?
亡くなった人が照らすこともあるよな


間にあうように、闇にあう、夜に問う
あきちゃんきみのカンバスは待機なのか、もしくは常なのか、と


人よりも獣よりも音よりも速いという光は紆余曲折に憧れることもあるだろうか
それは直線直情の明滅と花火、魂、爆ぜる
いなくなるときの人はたいがい最短距離で消えるよ


あきちゃん、でも、人は存在しているか背後に 照らし出すか 明るみ ――
きみが火をつけたことによって浮かびあがる
人や犬や猿の石像が
またひかるんじゃないかなって見ている、ここではひかりのほうが残像だから、
リズムを喰う牛を曳き
束の間を虫眼鏡に







アピチャッポン・ウィーラセタクン 「FIREWORKS (ARCHIVES)」 2014年9月11日(木) - 10月4日(土)

【 ファンタジー 】錦織圭×マリン・チリッチ



マイケル・チャンの身長が172cmだって書いてあるテレビ(記事かも)もあった。175cmって紹介が多いけど。ちなみにサッカー選手はよく身長を“盛る”。実測で165cmでもプレス・リリースでは170cmになってたり。なにか理由があるんだろう。
posted at 05:31:44


錦織選手はすこし前のインタビューで、トップ10から上を倒すための具体的な技術・スキルについて、こう語っていた。
『 ―― もっとフォアを使ったり、ネットに出たり、バックのストレートだったり、自分から仕掛けることも覚えられたら、(上位を倒す)チャンスは増えてくると思います』
posted at 05:37:43



<独占インタビュー再録> 錦織圭 「壁は必ず打ち抜ける」
http://number.bunshun.jp/articles/-/821622
posted at 05:40:20



マイケル・チャンは魅力的でハートフルで実直でフェアで、経験と自信に裏打ちされた説得力があり、ドラマチックでカリスマに富んだ人物だと惹かれるvideo。 
https://www.youtube.com/watch?v=LfoYUQIsrg4
posted at 05:47:48



テニス界の大先輩(アジア系のレジェンド)と後輩という関係性がなくてもマイケル・チャンはこういう話し方、距離感、コミュニケーションを取る気がする。
「あなたは間違いを犯したよ。自分を信じ、前に出て行くべきだったよ」
オシムもこういう言い方をする。
posted at 05:50:13


「結果予想? 日本人には5セットで錦織、クロアチア人に聞かれたら5セットでチリッチって答えるよ!」
―― ジョン・マッケンロー(たぶん今日もアメリカの放送で解説)
posted at 05:55:33



中華くらげ、なっとう、きぬ豆腐をネタに、和風だしでうどんを食って試合開始にそなえる。
posted at 06:06:00



1-1。チリッチ選手が吹っ切れてる感じかと思ったが、錦織選手もファーストサービスがこないだの試合より入ってる。これからどうなるか。
posted at 06:17:38



2-1、チリッチ。サーブゲームを譲らない格好で始まった。
posted at 06:19:25


・・・・


実況席で「元プロのイワニセビッチさんがコーチに就いて、チリッチのサーブがさらにレベルアップした」と話してる。チリッチもコーチでレベルアップしてる。錦織陣営といい、このチームワーク・コンビネーションの戦いも面白い。
posted at 06:27:08


錦織選手、ショットをネットにかける回数が、こないだの試合より多い。
posted at 06:28:04



こんどは難しくないフォアショットをネットにかける、錦織選手。サーブゲームはとくに失いたくない。
posted at 06:29:16



チリッチ選手が錦織選手(以降、選手は略。リスペクトはし続けているが、ゲームに追いつけない)のサーブゲームを奪う。4-2でチリッチ。チリッチは最高の立ち上がりなのでは?
posted at 06:30:52

チリッチつええよ、付け入る隙がないとはこのことかというクオリティだ。
posted at 06:33:49


・・・・



チリッチはテンションもいい、冷静で熱い、サーブもかなり入ってる、ストロークもつよくてミスがない。錦織は一気に逆転を狙わなくていいので極力ミスを減らし、相手を楽にさせないこと、しぶとくついていきたい。
posted at 06:35:15



1ゲーム、5-2でチリッチ。錦織のサーブ。
posted at 06:35:46


・・・・



解説の人が「チリッチのサーブに対するリアクション、ストロークの確率をあげなければ」といってる。
サービスエース、サーブでアドバンテージを得て、ラリーの主導権を握って押し切るというチリッチの流れ。
posted at 06:44:02



錦織はチリッチの深いところを狙ってくるリターンに苦しんだ。ストロークに持ち込めたら自分の流れとつよい気持ちを取り戻せるかどうか。
posted at 06:44:58



「チリッチを(左右、長く)走らせることがだいじ」
(「」のなかは実況・解説者のコメント)
posted at 06:47:09



錦織がサービスゲームを奪取。1-0
posted at 06:47:52



錦織はジョコビッチ戦では入ってたショット、それほどきつくない体勢から打つショットがネットにかかったりアウトになってる。原因はどこにあるんだろう。
posted at 06:49:52



「チリッチのリターンがいいので、錦織も必要以上に警戒している」
posted at 06:51:44



すごいラリーを錦織が打ち勝った。チリッチもはんぱじゃないが、いまのは錦織が超えた。
posted at 06:53:10


・・・・

錦織、サービスゲームをブレイクされてしまう。2-1でチリッチ。序盤だが、ここで追いかけ、早い段階で追い越せなければ、じき試合が決まってしまうかもしれない。
posted at 06:55:38



チリッチの状態がよすぎて、圧倒されかかっている。体力勝負に持ち込むなり、ミスをさそって精神状態を揺さぶるなり、なにかをやらないと。なにをやっていくだろうか錦織選手は。
posted at 06:57:28


・・・・


チリッチの状態がよく、レシーブにしてもラリーにしても上回られてしまうので、厳しいところをつかなければと意識しすぎてミスが出る、入れなければならないと今度はコースが甘くなる悪循環から脱したい。
posted at 07:02:28



相手の体調や心境は常に冷静に観察し続けるが、相手に自分を合わせる必要は全くない、という勝利への道筋は錦織自身、ジョコビッチ戦で拓いたはずだ。チリッチの調子はいいが、自分が悪いわけじゃない。やれる。
posted at 07:05:42

「調子のあがったチリッチのサーブはフェデラーも手が出なかった。さらにチリッチはサーブの後のプレーもスピーディでアグレッシブです」
posted at 07:11:50


「チリッチはセカンドサービスが入ったあとのポイント奪取率が75%」
posted at 07:13:12



錦織、はじめてブレイク。チリッチのサーブゲームを取った。
3-5でチリッチ。
posted at 07:16:16



錦織のバックハンドがストレートに抜けてった。このゲーム初めて。流れが変わってもおかしくない雰囲気が、すこし出てきてる。
posted at 07:18:14



でも、その次のストロークを錦織が力んでミス、いまもスマッシュを焦ってネットにかける。こういう、そこは入れられるはず、というタイミングでのミスショットが今日は多い。
posted at 07:19:07



第二セットもチリッチが取った。錦織はサーブゲームを失った。いまのゲームはグッドショットもあり、観客を沸かせた瞬間があり、チリッチもほんのわずかに隙を見せる兆しがあっただけに、痛い。
天気は曇り。こないだより気温は低そう。
posted at 07:21:06



「錦織も粘ってるんですが、甘いボールが来ません」
「おっしゃるとおりなんですよ……」
3セットのファーストゲーム、チリッチのサーブゲーム、ジュースが続いている。「山場だろう」と。
チリッチが取った。1-0でチリッチ。
posted at 07:27:34



第二ゲーム、錦織がキープ。チリッチがよく走り、いまもあわやというリターンを返してきた。錦織はサービスブレイクしても、息がつけない。
posted at 07:31:50


・・・・


サーブを返され、ラリーを取られ、お株まで奪われる。やりようがない。
「こんなに凄いチリッチを見るのは、わたしも初めてですね・・・」
posted at 07:41:01

錦織も沸かせるプレーをなんどもしてる。凄いラリーもある。第一セットの第5ゲームがとても悔やまれる。あれでチリッチを走らせてしまった。
posted at 07:44:06



先にサービスブレイクさせないように絶対の注意を向ける、というのはテニスにおいて意味がないのかもしれないし、戦略とも呼べないのかもしれない。でも、あの時点で均衡を保てていたら、展開は違うものになっていただろうし、ジリジリと併走するゲーム推移は錦織の望む流れだった気がする。
posted at 07:47:09


初の四大大会のファイナルという緊張感と、「平常心」を心がけすぎた意識があいまって、いつもなら察せる危機に対応できなかったのでは? あまりにもはやく訪れた勝負所に 危険察知能力が働かなかったのではないか。
posted at 07:51:43



錦織サービスキープ、3-5でチリッチ。グッドショットがあった。意地を見せた。
posted at 08:00:53

6-3,6-3,6-3のトリプルでマリン・チリッチ全米オープン初優勝。
素人のおれの目には、チリッチは完璧だった。このチリッチにどう勝てばいいのかっていう隙のなさ。相手がどうではなく、この勝利の、優勝の理由の全てを彼が説明できる、というワンサイドゲーム
おめでとうございます。
posted at 08:05:09



錦織選手は健闘したといえるのかもしれないが、そういう形容より、この先の長いプロ生活にとって有益な、負けなければわからない教訓をたくさん掴み、コーチたちと一緒に推進力・成長力に換えるだろう。次の試合を楽しみにしてます。決勝進出は凄いことだと思います。おつかれさまでした。楽しんだよ!
posted at 08:08:07






『A代表×ベネズエラ』のまえに

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こないだのA代表×ウルグアイという花試合(0-2でウルグアイ)についてメモをとっていたのだが、長くなりそうだから今度にしようかと思っていたタイミングで発達障害についてのリツイートを読み、次いで自閉症を研究してるドクターが「今までは自閉症患者が健常者と同じようにできない点を問題化してきたのだが、これからは、自閉症患者が何に喜び、何を楽しみ、何をしているときに脳が活性化しているか ―― そして、それをどう伸ばすかを研究すべきですし、そうなりつつあります」と言ってたことを思い出し、あらためて男子サッカー日本代表について考えているのでスケッチしていく。

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酷いだろうと思いながらテレビを点けた『A代表×ウルグアイ戦』、思った以上に酷かった。

「監督交代して初集合、三日目くらいの初戦じゃ、ろくな試合にならない。監督が変わったばっかりだからね、仕方ないよね」というのは誤解だ。

四年間も準備したW杯の直後の試合、花試合気分のウルグアイが相手だった。また、新チーム発足といったって「初対面ですね、こんにちは」のお見合いじゃない。新チームにはW杯メンバーの7〜8割が残っている。一緒にプレーしてきた仲間と培ったコンビネーションを利用するとか、個々に判断して創造的に(ゴールのイメージから逆算して)仕掛けたり、各々「勝つため」から逆算すれば選択肢も複数挙がり、そのつど責任を持ってプレーを選び、相手を倒すことに集中すればチームとしての連動はなくても勝負の緊張感や強度はテレビを通してでも伝わってきただろう。たしかにチーム集合から数日では監督のサッカー哲学、ノウハウ、指導法、システム論からその実践方法など ―― チームを作るうえで欠かせない諸要素はさわりしか感じられないだろうが、上に書いたように選手個人に個人戦術が身についていたらある程度の攻守の質は保たれるし、強度のあるゲームができたのではないか。

でも、このウルグアイ戦、試合にならなかった。
花試合にしてはユーモアもウィットもなく、真剣勝負のシリアスな価値からも程遠い、どこにも魅力がないゲームで、お金を取れるクオリティじゃなかった。それと、日本選手の多くが「命令されないと動けない」という本性が露になっていたと思う。彼らは監督が変わり、やり方が新しくなったことで戸惑い、サッカーの基礎・原則・ルールは同じなのに、少年時代から何千回と試合をしてきているだろうに ―― ピッチ上で何をしたらいいかわからなくなっているように見えた。これを「召集から三日だし、ダメでも仕方がない」で終わらせていいのか。問題はどこにあるのか。

現状、「あるシステムやルールの強制や暗記、ストーリーの後押しがなければプレーに迷い、判断が遅れ、自信も目減りする。しかし、指令が行き届き統制・統率がありさえすれば備えている能力がピッチ上で発揮される」というパーソナリティの選手が多いのだと思う。ほとんどの選手が隣の選手や監督の顔を見ながらプレーしている。ミスを恐れ、チームの輪から離れることを考えられず、命じられないと動けない。考えて判断する、という具体性がイメージできていない。というよりも、個人を意識したり、引き受けたり、複数の選択肢のなかから状況に応じて最適な方法を選んだり、ときには作り出すようなノウハウ・スキルを覚えたり、身に付けたり、必要とされる機会に触れられず育つのが日本社会だし、そこから出てきたサッカー選手、代表選手を責めることはできない。それは日本社会の仕組みがそうさせているのだから、この先も相当の何かが起きない限り(起こさない限り)変わらない。中田英寿さんのような自意識バリバリで人を選ばす意見を言う、一方で言ったことの責任も引き受けるというタイプは突然変異のようにしか出てこない。

それで、
「どうやったら短期的な結果が出るのか」
「長期的なポジティブな変化は、どうしたら呼び込めるか」
「それは日本人選手の多くが間違っているということなのか」
「日本人選手のそういう癖をうまく活用する発想ではやれないか」
「男子代表チームの強化、改革を求めるとしたら、どこからはじめたらいいのか」
「外国人監督でそれが可能なのか」
「サッカーってなんのためにあるんだ?」
「サッカー選手として強くなるように育てるとしたら、日本で暗黙の了解として共有されてきたノウハウ・処世術とは全く違う哲学や信条を教えることになるので、もしかしたら少年は日本社会では生きにくくなるかもしれない。だとすれば、強化の推進や伝播をする上での論拠、正当性、裏づけはどこに置くのか」
「で、どうしたらいいと思ってるんだ、黒川は」
という話などがあり、一まとめにはできない。

ひとつ言うと、日本の男子サッカー代表チームに短期的な結果(勝利や主要大会での上位進出)を求めるなら、「選手をロボットのように扱う独裁者タイプの監督」に任せ、「規律・命令・役割意識・ストーリー・システム」を徹底的に刷り込んでもらえばいい。監督は外国人で、世界的な人物であり、わかりやすい実績や肩書きを持っていることが望ましい。
皮肉ではなく現実的な話をしている。マスコミが煽り、協会が望んでいる「結果」というのは、日本社会に精神的な革命でも起こらない限り、このようなチームでしか実現できないし、このようなチームであればW杯であろうとかなりの水準で戦えるはずだ。

こういった分析をふまえ「結果? それが出ればいいのかな?」とおれは思っている。それと、選手が「結果を出す」と言うたびに、自律性を身に付ける契機がないままある程度の年齢になってしまっていることや、格上のチームと戦いながら勝利し続けることを求めるなら、かなり際どくて窮屈なやりかた以外難しいと思うけれど、それらについてはどう思っているのか、という疑問が浮かぶ。


まとまらない。論立てられない。
頭が重たくなってきた。
でも、あと三〇分で始まるベネズエラ戦前に、メモしておきたい。まとめられない、情けないからといって捨てたくない。気になってるし、これは違うと感じるし、書き止めておきたい。
ポイントを箇条書きで。


・このような傾向は日本男子サッカー代表だけの話しなのか?

・他の団体スポーツの男子代表にも通じる症状だと思う。

・ただ野球はちょっと別で、それは野球に世代を超えて共有される歴史や伝統があること、国技のような自意識、国際的なスポーツではなとしても日本は世界的な強豪国で一流プレーヤーも何人もいる。
・野球が個人スポーツ的な要素の組み合わさった競技だから、団体スポーツのなかでも変種で、集団に隠れたり覆われる状況がサッカーより少ないという点も、野球選手の自律性の獲得に作用してるかもしれない。
・平均年齢の高さ(30代、40代の現役選手の数)にも意味があるはず
・ただ日本の野球には野球固有の(高野連をはじめとした組織など)問題もある

・育成については、日本の歴史、教育、社会環境、対人関係の慣習 ―― 思想や政治、文化的・宗教的な背景を抑える必要があるので、いわゆる「日本人の長所」からサッカーを考えていくとしたら、外国人じゃ難しい。かといって日本人であろうと、先に書いた要素を意識していなかったら、外国人がやるのとたいしてかわらない

・「日本人の長所を活かしたチーム作り」という想像力は、「日本人にもいろんな日本人がいる」というミクロの視点を欠いてると意味をなさない。

・たとえばW杯に参加する日本代表チームは、日本国籍を有する23名で構成されるが、たった23人なのだから、そのときのチームに性格的な偏りがあったり特徴が出たりする。前もって「日本人らしいサッカー」というスローガンを掲げようと、この23人のパーソナリティとサッカー選手としての能力をいかに掛け合わせるかという作業になる。じゃあ「日本人らしいサッカーをする代表チーム」という命題は何のためになるのか、なぜ必要なのかも考えなきゃならない

・たぶん日本サッカー協会が理想としてる「日本人のよさを活かし、組織力と連動性を高め、さらには個の能力も随所で発揮される創造的で運動量のあるサッカー」をやるには、おれは選手に自律的な精神、運動、判断や対応力が不可欠だと思うけど、自律性を身に付ける機会をもたずに育った大人が、どうやって子供にそれを教えるのかを考えないと、空論のまま時間だけが過ぎる

・また、自律性を高めていくことはサッカー・プレイ・チーム・ピッチ上の選手にとってはポジティブだろうが、他律的でいるほうが楽に過ごせる日本社会の中で、自律的になっていく少年・少女の生活、それからの人生はどうなるのかという懸念もあるよ、とさっき書いた。独自に考え、生きていこうとする人間を励ましたり、意見が違うときに話し合ったり求め合ったりしながら暮らしていく気持ちはあるのだろうか。彼ら彼女らは顔色を探ったり空気を読むなんてしないよ? あなたにとったら面倒なことなのではないのか?

自閉症患者に付き添い続けてきたドクターの「今までの、自閉症患者への“できないことを潰していく”やりかたは結局は患者の自信を失わせ、総合力も落としてきた」という冒頭のリツイートにつながるのだが、「日本人選手は命令されなければ動けない」のだからまず「徹底的に命令する・規則で固める・ぎっちぎちにルール化する」ようにやりつつ、長期的なビジョンに近づけるようにやっていくしかないのでは、というのがひとつ、書きたいことだった

                                                                      • -

・おれは「日本人」とここに書いてるが、書くたびにノイジーなものを感じている。それは誰のことなのか。一人づつ違う人間を名称や形容詞でくくるってなんだよ、失礼だし、その「日本人さん」連れてこいよ、話はそれからだ、という憤りだってある。

・「日本人」は便宜的、暫定的な物言いでしかない。いま、なにを書くために、どういう主体・視野・レベルが必要で、この言葉を使ってるのかというところは常に意識していたい。

・「日本人」という主語で書くような話は、問題にしないほうがいいとも思うが、それではゼロになってしまう。間違えていたり、訂正が必要だというところまで行けるかもしれないし、そこまで行きたいと思うので、いまは「日本人」と書いて進んでいく。

                                                                      • -


・日本人の心の癖をふまえた上で、長期的なヴィジョンに照らし合わせながらやっていくのでなければ、監督を変え、そのやり方に染まり、そのつど結果が変動しても、それはそういうことでしかない。アギーレがW杯で日本をベスト8に連れてったとしても、だからって何かが変わるわけじゃない。浮き沈みの浮きのタイミングが来ただけ。

・そういうことを繰り返していくのがサッカーなのか?
・もっと可能性があるのでは?
・たとえば、おれはサッカー選手たちが、本質的な意味・認識・把握でもって「ピッチ上で独自に判断し、個人技術・戦術にもとづいてプレーできる」ようになるほうが、様々な観点から、よい、と思っている。今のままじゃ絶対に無理だけど、これが実現されたときは、日本にとって革新的なこと起きた証だろうな、と。

・サッカーの楽しさ、役割、可能性とはなんだろう?

・サッカーってなんなのか、なぜサッカーをするのか、サッカーを見るのか

・こんな日本人論なんて書きたくないし、どうでもいいとも思っている。日本にサッカーが根付かなくても、代表チームが世界の三流レヴェルだろうと、サッカーは面白い。

・ゲームの中身のこと、ルールやシステムや運動や技術にそなわる魅力のこと、試合のなかに流れる時間のこと、一試合に30からある視点の交錯と影響を及ぼしあっている内実のこと、国々の歴史のこと、クラブごとにある歴史的背景やストーリーのこと、人の流れやお金の動きのこと ――

・言葉で全ていえないにしても、言えるように考える、と同時に、増殖しがちな言葉を削ぎ落としていきたい。

・こうすることでサミュエル・ベケットの想像力を想像し、追体験したいという山っ気もある

・なにをバカなことをいってるんだと思いつつ、いま書かず後回しにはしたくないし、なかったことにもしたくないと思うようになってきた。

・うまく言えないからといって、だからなんなのか。
・おれは、ひとがなにかをうまく言うことを求めていないのだから、いいじゃないか、じぶんがうまく言えなくったって、うまく言えなくったって伝わるし、汲んでくれるはずだ、という託す気持ちで書いている

・要所要所、書き込みも足らないが、トピックだけでも出していたい。できれば意見や議論を呼びたい。知らないことを知りたい。教わりたい。

・自分が好きなスポーツと、そのスポーツを見せてくれる選手、監督、コーチ、スタッフ、クラブ関係者 ―― 国籍も年齢も性別もどうでもいい、サッカーを好きな人がより豊かに実現できるように心から願っている。


本田圭佑のように放言を謝らず、なにも問題はなかったかのように振舞う選手は、ピッチ上で説得力や責任感のあるプレーができるだろうか。本田の扇情に乗ってしまう ―― あるいは表立って「自分はそうは思わない」と提案・発言できない選手が、試合中の厳しい局面で自覚を持ったプレーを選択・実行し、チームを助けられるだろうか。こういった選手たちに問いかけることをせず、説明を求めずにあたらしい話題や経済の媒介でしかないメディアの不感症は、サッカーの質をポジティブにするんだろうか。

・サッカーがあって自分が存在できる人は、贈り返さずに消費・消耗させるだけでいいのか。

・代表や選手を取り巻く大人たちに責任感が薄いから(全員とは言わない。個人的に分析している人もいるし、少ないけどレポートも読んだ)、選手たちの無責任さを問わないのだし、気づきもしていないということはわかるが、こういった無責任さを看過することは、なによりも将来のサッカー担う子供たちに悪影響があると思う。

・子供たちが大人になったとき、自分で考え、実践し、どんな結果でも引き受けるという心構えがあったほうが、やっぱり、よいプレーが、彼ら彼女らにとって質の高いプレーが、そのときにできるのではないかと想像する。アリバイなんて出せない、これはおれの妄想・夢想に過ぎないが、そう思うから書いておく。

・また、自律性(散々使ってきてなんだが、もっと適当な言葉を見つけたい)の必要性に気づくのが遅くなったり、ぼんやりしたままプレーし続けるとしたら、その状態はあなたの成長やポジティブな変化を助けないし、チームの成長を阻む要因にだってなるのではないかと思う。

・なので舌っ足らずでも、なかったことにせず、無視せず、ひとまずここに書いておきたかった。

                                                                      • -


ベネズエラ戦がはじまった。
今日はここまで。










ノバック・ジョコビッチ(セルビア/第1シード)×錦織圭(ジャパン/第10シード)

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@NY、現地時間6日。
全米オープン準決勝、錦織圭(世界ランク11位)が第1シードのノバック・ジョコビッチ(世界ランク1位/おれと誕生日がおなじ5/22)に勝った。
長時間の試合が続く錦織選手が不利かと思われたが、彼は最高のキーピングでこの試合を迎え、最後まで本調子を取り戻せなかったのがジョコビッチ選手だった。
セットカウント3−1で錦織選手の勝利。
体感気温35℃に達していたというNYのハードコートで(湿気も酷かったらしい)、錦織選手は三時間にわたる試合を打ち抜き、自身初のファイナルで闘うチャンスを掴み取った(誇張はない。けっしてフロックの勝利じゃない)。
決勝はマリン・チリッチ選手(クロアチア/世界ランク16位)との対戦だ。対戦成績は錦織選手の5勝2敗。
試合開始は日本時間、9月9日(火)の朝6時から。

                                                                      • -


以下は観戦ツイート。
ところどころ文章になってないし断片のままのヴァースもあるが、まぁ、それも生っぽいからいいか。
リライトせず、書きっぱなしの要点については今後のテニス観戦で捉えなおし、練り上げたい。



なんていったらいいんでしょうか。ミラクル連発とかいいたくない、が、かってに口がそううごく
posted at 03:04:47


!!
posted at 03:05:58



第三ゲームの半ばでようやく1STサーブが入るようになってきた
posted at 03:06:18


ふぅぅ・・・もったいなかった。両者1セットづつとって第三ゲーム、5-4で錦織。つぎのゲームはジョコビッチのサーブ。
posted at 03:10:07



試合開始から二時間が過ぎた。王者ジョコビッチは本調子じゃない。ただ、この試合にベストを発揮しつつある錦織のキーピングが上回ったのだから、この点で彼は勝者。
ジョコビッチがサービスキープ。5-5で錦織のサービスが始まる。
posted at 03:15:32



錦織選手は今日のラリー、たびたびジョコビッチを正面から打ち崩すクオリティ。第三ゲームを奪取すれば、この勇敢なプレーは客席のテニスファンを味方にするかもしれない。それだけ熱い。
posted at 03:17:54



タイブレークで四点連取、錦織選手。ジョコビッチ選手、表情も冴えない。
posted at 03:24:01



しかし、中盤から終盤にかけて調子をあげてくるのがジョコビッチだと、解説と実況のお二人も話している。
posted at 03:25:17



ここでダブルフォルト・・・ジョコビッチ。5-2で錦織のサービス
posted at 03:26:35



錦織もダブルフォルト、5-4
posted at 03:27:57



両者にプレッシャーがかかっている、とのこと
posted at 03:28:13


6-4、錦織。セットポイント
posted at 03:28:46



ボールアウト、7-6・・・まじでタフなセットだった。第三セット錦織選手が取って2-1でジョコビッチをリード。アメリカの放送、解説席ではマッケンローが喋ってるらしい。
posted at 03:30:29



マイケル・チャンが錦織選手のコーチに就任し「お前は世界一になれる逸材だ!」という自覚・自信、そして闘魂を与えたという印象があったので、ジョコビッチ選手に対して気持ちをアッパーに前に出て闘うと思っていたが、見当違いだった。
錦織選手はできるだけ感情を上下させずにプレーしてる。
posted at 03:34:26



だからこのゲーム、「王者VSチャンプに挑む期待のホープ」という構図が成り立たない。驚きだ。このストーリーに乗らないことが錦織選手のメンタルの質、その変化あらわしている気がする。
posted at 03:36:47



グレイト
posted at 03:42:53



あちゃー、だめかと思われた0-40からヒックリ返す、サービスキープ。第四ゲーム、2-0で錦織選手。
posted at 03:43:37



ちょっともう信じられないようなレシーブが決まってる、こわくなってくる、なんだこの恐怖感は、あってはならないものが目の前に見える、立ち現れることで、禁忌に触れているみたいな。
posted at 03:45:53

ジョコビッチここはふんばりました……第四ゲームは2-1で錦織リード」
posted at 03:46:35



実況と解説のお二人が「錦織はテニスの天才」っていってる。世界的にもそう認識されてるんだろうか。サッカー天才といえば現役だとメッシ、シャビなど数えるほどしかいない(天才というのは肉体的資質に恵まれてる選手とはニュアンスが違う)。
posted at 03:51:16


第四セット、3-2で錦織選手がリードしている。
posted at 03:52:50


解説のさかいさん曰く「ジョコビッチは努力の天才」らしい。
「とにかくコートのカバーエリアが世界一広い。世界最強のディフェンス。そして相手を受けながら隙があれば反転する。この反転力も比類ないレヴェル」
posted at 03:54:55


ジョコビッチが凄いサーブを二つ決めた、としかいえないのがもどかしい。なんかもっと・・・こう、あるはずだが、見つからないし、つぎのプレーがはじまってしまう。
posted at 03:58:47



サーブを打つ、レシーブする、リターンエースを狙う、押し返す ―― というシークエンスの断続なんだけど、ワンプレーに選手には選択肢が浮かんでいて、判断と意志があり、ハードな運動の最中、脳内で高速算出された結果を見れば、選手がなにを狙ったかはわかるが、それ以外に感情も伝わってくる。
posted at 04:01:06



さらに、前のプレー、その前のプレーの余韻というレイヤーもあり、これからの予見も当然かぶさってくる。この前後行き来するイメージのベクトルとはまた別に、このゲームへの意気込み、モチベーション、先入観という意識の次元も重なる。ワンプレーごとに気持ちも変わるし、変数的な要素は他にもある。
posted at 04:02:38



マッチポイント、錦織選手。やべえ。まじか。
posted at 04:05:38


勝・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・った
posted at 04:06:28



これは文句なしの勝利です。ジョコビッチに勝った。
posted at 04:06:55

だが、こころから喜ぶのはもう一試合勝ってから、というチャンさんの冷静さ。
posted at 04:08:00


おめでとう錦織選手。この試合のことは忘れない。熱かった。あと、ロジカルだった。今日の錦織選手はフィジカルの総合力でジョコビッチ選手を上回っていけど、それより、堂々と、というよりも自然体で向かい合ってた。これから、こういう試合を、なんどもやる肝が据わってるように見えた。
posted at 04:12:51



彼が、世界的に見ても傑出した才能、テニスの天才と認められてるのだとしたら、錦織の決勝進出が日本人うんぬんなんて物言いは無意味だし、事の魅力、迫れるかもしれない本質から離れていくだけ。妙な先入観を植え付けるのはよそう。
posted at 04:16:52



天才がたまたま日本に生まれただけだ。ただ、スタジオ(現地?)で涙をこらえられなくなってる元プロの神尾さんのように錦織を昔から知ってたり、自分でもツアーを闘ってきてたり、日本のテニス界のことがわかってるひとは、感情移入もあるだろうし、誇らしかったりするはず。松岡さんも泣いてるな!
posted at 04:20:08

(From/@alta_xxx)





MEMO------------------------------------
テニスは(シングルスの試合なら)1対1のゲームなので、サッカーよりもはるかにゲームの趨勢や展開が見えるし、心理を辿りながら観戦でき、因果関係に照らし合わせていける。もちろんそれだって想像の範疇で、正確性も事実性もなし、観戦者のファンタジーに変わりないが、とはいえこのファンタジーの濃度・強度がサッカーとはまるで違う。おれにとっては状況論と原理論くらい違う。書き起こすとしたらテニスのほうが性にあっている ――
大枠でいうと5セットのうち3セットを先取すれば勝ち、ミクロで見ればワンゲーム内を4点先取(3点で並べば、そこから二点先取)すればゲームブレイク、ゲームがブレイクされたらサービス権が動き、ゲームとゲームの間にはコートチェンジ、セットとセットの狭間には小休憩が入る。このルール・ゲーム構成をブリッジに、勘所となったラリーやリターンを分析・記述し、流れのなかの要所を書き起こし、グリッチには両者の心理(といっても取材した生の声ではなく、あくまでも想像に基づいたモノローグですが)を挿していくと、まちがいなくそのまま小説になる ―― と思いながらツイートしていた。


世界的に広まっているスポーツで、さらに一対一の競技で、世界ベスト10、その上に行くというのはとてつもないことで、一度きりではなく、このグループ ―― もっとも競争が厳しくレヴェルが高い四、五人の層 ―― でプレーし続けるには、それだけの技術、体力、そして精神力が不可欠だろう。
この『ジョコビッチ×錦織』で感じたのは、調子があがらないジョコビッチ選手がそれでもどうにかフィジカルとメンタルを向上させようとし、力が入りきらない心身であろうと、ときおり強烈なサーブやレシーブで試合の流れを引き寄せていた姿だ。ただ、種火は炎にならなかった。重ね置いた薪が湿気ているのか煙は立つんだけど燃えきらないでくすぶっているような感じ、いちど燃え上がればその炎のサイズは世界でもっとも大きく、温度もまた世界一高いはずというポテンシャルをびんびんに伝えてくるジョコビッチ選手だけに、イききれないもどかしさを本人が一番自覚しているだろう ―― と思えた。


一方、錦織選手には驚いた。去年の全英でのプレーなどに感じられた、昂ぶりや気迫、格上相手に燃焼していこうとするプレーぶり ―― どうにかトップ4に食らいつき崩そうとする意気込みが表に出てこない。もちろん弱気だったという意味じゃない。彼はおそらく「自分はこの場に、セミファイナルにいて当然なんだ」と思っていた。そのようにコントロールしてきた。
 「挑戦者という立場」( = 敵が上。格上と自分)
 「自分のスタイルを貫く」( = 自分しか見てない。相手の長所短所やゲームの流れを読んでプレーすることができない)
 「自分は弱いと開き直って闘う」( = あたって砕けろ精神。勢いに任せがちになる。ゲームや相手を冷静に読む心理からは程遠い)
プレーにおいて、大一番において ―― このような“ストーリー(宗教心・妄信にもクリソツだが)”には乗らず、頼らず、トレーニングしてきた内容やコーチと作り上げた戦術、そしていま自分が立会い、プレーしている試合のライブ感 ―― 自分の調子、相手の調子、ゲームの流れ、プレーごとにかわる局面、予測される展開などなど ―― に柔軟に応じ、読み、チャレンジを続ける錦織選手のプレーぶりが印象的だった。
つまり錦織選手は自分自身を「非日常」に置いていなかった。あくまでも日常(という言葉は適当じゃないんだけど今は別の言葉が浮かばない)に居るように見えた ―― そんなメンタルのモードで、それはいってみればトップが狙える精神的なレヴェルに達し始めたということかもしれない。そうだ、そうかもしれない……錦織選手にはジョコビッチ選手にもできない深いゾーンからの鋭いリターンエースを決められるセンス・テクがあり、ハードな連戦にも落ちなかったフィジカル・エネルギーも向上している。身体的には昨年からおおきく飛躍しているように見える……が、マイケル・チャンコーチとのトレーニング・カウンセリングの効能か、これが錦織か? 別の人間じゃないか? 同一人物とは思えないほどにメンタルの質が変わってきている ―― 「四大大会のセミファイナルでプレーするのは当たり前のことだ」 ―― これで常に闘えるようになるなら、彼はリアルに世界のトップクラスとしてツアーを転戦する、テニス界の中心選手になっておかしくないという興奮が沸きあがって収まらなかった。


おれは技術的なことはまったくわからないのだけど、錦織選手のファーストサービスの威力や成功確率のクオリティは、おそらく物足りないはず。また、きらめくリターンやラリーを決めた直後の凡ミス(技術的にはそれほど難易度が高くないように見えるショットやリターンなど、コースを狙いすぎてネットにかけたり)など、まだまだ改善されるべきポイントはたくさんあるだろう。でも、それはマイナスじゃない。彼にとっては可能性だ。
フルフォームのジョコビッチ選手が感じさせるサイボークネス(人間じゃないくらいミスがなく揺るぎなく強く)の「完成度」に、それ以上は残されているだろうか。ジョコビッチ選手がこれから一つも二つも化けるという可能性はない……なんて断言はできないし、するつもりもないけど、彼の「仕上がっている・出来上がっている・作り上げられている」感と、錦織選手の印象はまるで違う。
錦織選手は拍子抜けするほど簡単にミスをしたり、サービスがもう一つだったり、荒削りさとか磨かれていないところ、人の手が入っていないところがたくさんある気がして、そして、それは余白 ―― ここでいう白さとは自由であり自在であり ―― 錦織選手固有の可能性だ。期待の若手のことを“ホープ”というが、もとい、それが「願い」という言葉であることの意味を、彼に教わる。
洋の西や東を問わず、年齢を問わず、国籍や競技をも不問に ―― 現在、錦織圭は最も可能性を感じるアスリートの一人だ。わくわくする。


全米のファイナル、錦織圭マリン・チリッチ、どちらが勝っても初優勝! さらにはお互いに四大大会の初優勝になる!
とても楽しみ。
緊張もあるだろうけど、二人にとって充実感に満ちたゲームになるよう、願って。


火曜日は朝六時に起きるぜ!






■●―  ―■△■――●●△■●――――

レポートではなくて散文としての『ジャパン×コートジボワール』

[text]ブラジルワールドカップ『ジャパン×コートジボワール


これはお話です。

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2014年06月15日(日)  @alta_xxx

                                                                      • -

日本代表のブラジルW杯、初戦。

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ドログバはベンチから
コートジボワールのFWドログバはベンチスタート。
アフリカ予選や親善マッチの記録を調べれば、「ドログバは先発ではないかも」とあてをつけられたはずだが、「コートジボワールドログバ中心のチームだからー、ドログバ見るべきだからー、ドログバ英雄だからー」ってストーリーが絶対かのように記事を書いたり、テレビを作ってた人たちは、いまどんな顔でこの試合を見ているのか。
シンボルを中心にしたドラマ語りは形式が出来上がってるし、それなりの脈絡も自然と出来るので多用されているが、このようにドログバはベンチからスタートになり、コートジボワールドログバ以降のチーム作り、アイデンティティを模索している最中だとしたら、あんまりにも実情と違い、それはジャーナリズムやレポートではなく、感想文であり、フィクションだ。


●試合開始直前
アップする日本代表の面々は緊張とやる気 ―― 期待と昂ぶりのいいバランスにある、ように見える。


雨が降ってピッチは重馬場だから、いつもならやらないミスも増えるだろう。
パスワーク主体の「スタイル」に影響は必至だ。
ゲームへの入りが悪く、コートジボワールに押し込まれてスタートすると、パスワークに欠かせないリズムを失い、元に戻すためにエネルギーも消費する。それは避けたい。開始15分の戦い方がいつも以上に大事になる。


彼らはどう戦うだろう?


今回の日本代表の(というか、多くの日本人プレイヤーの)性格からして、試合の入りは「慎重にミス無く、徐々にエンジンをかける。これまでやってきたことを正確に出す。相手のコンディションと、ピッチの状態と、自分の調子を確かめ、試合前に作ったイメージを修正する」というモードだろうか。
もし、試合が始まり、相手チーム ―― コートジボワールがもたもたしていたり、チーム状態がぎくしゃくしていたら、日本代表はそういう「試合への入りモード」を捨て、思い切って「相手は状態が酷い。一気に攻め立て、取れるだけの得点を狙う」と襲い掛かかればチャンスも増えるが、まだ、日本代表にそういった切り替えは期待できない。
強豪国は違う。
試合開始15分は「自分たち・ピッチ、相手の調子を見る時間」として使うだけじゃなく、その後の約75分間を決定づける ―― ゲームの支配権を奪取できる時間帯だ」という意識が、たとえばブラジルやアルゼンチン、ドイツには具わっているから、監督が試合前に言い聞かせる必要がない。


●90分を編集しよう
日本が、ここから一つ、二つ、レベルを上げ、W杯でもベスト8以上に入らなければ「今回の日本はどうした?」と周りの国から質問されるまでに「強豪国」と認知されるには、いわれている「スタイル」の構築だけじゃなく、試合状況と時間帯によって、プレーのモードを切り替える意識が欠かせない。
日本チームは律儀で真面目なので「パスワーク主体の、運動量のある、コンビネーションを軸にした……」というスローガンは、90分、彼らを一つの枠に収めてしまう。
ここを変える。相手の状態や時間帯によって、柔軟にやり方をあたらめる ―― それによって時間や流れに対して主体的でいられる。というか、この意識がなければ、いつまでも流れや雰囲気に追われ、従わされる。
まずは90分を時間帯に分け、そのタイムコントロールが自分たちで行えることを確認したい。時間を編集し、ゲームの流れをデザインする意識を積極的に作ることだ ―― それは「ボールを保持し、ゲームの主導権を握る」という言葉より、プレーへの解像度を上げるだろう。
これからのサッカーは、この「目に見えない流れや時間」をいかにデザインできるかが、勝利のための、「スタイル構築」のための、重要なファクターになると、おれは考えている。


●10:02:05 試合開始〜
はじまった。日本がボールを持っている。

びびってるのか?
慎重だな。
薄皮を内から引き裂いて、一歩踏み出す勇気を、誰がふるうのか。


●「試合じゃなく、選手の肉体やスタンドのファンを眺める」という楽しみ方
試合の白熱度だけが、サッカーの面白さじゃない。
ルールがわからなかったり、選手の顔や名前をしらないとつまらない、なんて、もったいない。
サッカーに興味ないひとは、いま自宅でテレビをつけてないと思うけど、ゲームや選手の身体能力なんてどうでもいいので、たとえば日本と試合してるコートジボワールの ―― 表情や体の動き、彼らを応援するサポーターの衣装やメイクを見ていると、なかなか面白いですよ、と伝えたい。
ミスしたり相手にやられた選手が悔しがるとき ―― たとえば腕を差し出す選手がいる ―― 手のひらを自然に上向きにする人と、手のひらを握り、拳を空中に打ち付けるように激しく上下させる人がいたりする。それは個人個人のリアクションとはいえ、なぜかチームごとに共通の「ふるまい」が見とれ、そのギャップ ―― チームとチーム ―― 国と国 ―― の違いから各国の文化や宗教観、身体的特徴が想像できたりする。アフリカとアジアなど、地域ごとに差がある、とも思う。
また、選手がダッシュする寸前 ―― まず体のどこに力が入れるかも、チームによって、国のある地域によって違って(脚の表の筋肉と、裏の筋肉、どちらを使っているかなど)、人間の動きは、ほんのわずかな上体の「ふれ」や、速足のつなぎ、体幹のしなりによって、その運動の威力や、動きにこめられるパワーの質が変化し、それらはダンスを見るときのヒントをくれる。
声の出し方にも「目」を惹かれる。選手が何かを怒鳴るとき、その怒鳴りのフレーズのどのタイミングで体のアクションがあるかに(腕を振る、頭を動かす、すこしジャンプする……)、そのチームのリズム感が宿ったりする。それは音楽を聴くときに、演奏家の体の動きや、バンド・楽団のアタックやフロウを察する役に立つ。
―― 連想ゲーム、想像力を喚起される瞬間。


ただ、一言書いておくと、スポーツとアートは全く違う。
似通っているところもあるが、根本的に違う。
ざっくり、あくまでもざっくりだが、書いてみれば、こうだ。
スポーツはルールの枠内に生じる。
アートはルールの外側にあって、あるいは、作り手としたら、ルールそのものを創造する行いであり、受け手とすれば、それを目撃する体験だから。
(「ルール」と呼ばれ、省みられずにいる「それ」が、産まれる瞬間に立ち会うこと、ともいえる)
だからスポーツはアートじゃないし、アートはスポーツじゃない、とおれは思っている。


あなたはどう? どう思う?


●本田がゴール
本田(笑)結果出した(笑)証明した(笑)すごい(笑)文句なし(笑)
(長友が左サイドから内側にペネトレイトし、ショートパス ―― これを本田が受け、受けた瞬間に一歩踏み出した勢いのまま左脚を振り抜いた。ボールはゴールの左上に突き刺さる、文字通り、突き刺さったように見える一撃が先制点となった)


本田、ふっきれたかな、これで、ちょっとは。
モチベーションの維持、自己像の確認と宣伝、信仰のためにメディアを利用する姿にも、その発言の内容にも賛同できない。なにしろ、彼は病気が辛いんだろう。首の手術跡(じゃなければ、なんだ? 手術じゃないのか?)についての説明も、大会後にあるだろう。それと、彼は自分で考えることを止めている。あの喋り方は、聞いていて心が痛い。彼は自分なりにルールを作った。ロジックを持って、反復を持って、自分に適したシステムを作った。その最中は、人間はクリエイティブになれるが、ルールを作り上げたあと、どれだけ必然性があってのルール作りだったとしても、そこに「現在」や「正体」を落とし込み、従い続けていたら ―― やがて自分で考える力は衰える。この、考える力が痩せたことと、本田の肉体が痩せたこととには、根深い関連があるように見える。
だが、今日は、このグッドショット ――
ブラジルW杯のプレビューで繰り返し放送されることになるだろう圧巻の ―― 本田圭佑のゴール。
彼はこのゲームで見事に結果を出した。リスペクトします。すごいショットだった。
(10:21:27)


いま押してる。この趨勢に追加点を取りたい。


―― どうした?
もっと、いけるだろう?


日本のバイタルにネガティブなスペースが出来てる。
このピンチに点を取られなかったのが幸いだ。が、このままだと危ない。
前の選手が攻撃を仕掛けているのだから、全体のバランスとして、失点の危険性が高くなるのはしょうがないが、ボランチ二人は、お互いの距離感と、CBとの位置関係を再確認したい。


岡崎、ちょっと重たいな。
前回W杯の悔しさもあって、彼はモチベーションも高く、キャリアハイをたたき出したあとのW杯だけに、自分で自分にプレッシャーかけすぎてないか、と尋ねたい。


心が重たかったら、絶対に、軽く走れない。


回されてる、ボール、コートジボワールの球回しだ。
彼ら、徐々にあがってきた?


とにかく失点を防いでいれば、コートジボワールは気持ちが切れがちなチームだろうし、ここは、どうしたって耐えなければ。


いやあバイタルつかわれてる
さっきからずっと、なんども。


岡崎がここまで引っ張られるって、日本の守備はあんまりよくない。
ディフェンスラインの、それも中央まで引きずられている、岡崎。
相手のFKも続く。
この日本代表はセットプレーの守備が課題なので、続くのはこわい。


あぶないよ


おいおい


あげろ、おしあげたい。押し込まれるまえに
吉田、森重。ラインー


日本、間延びしまくってる。
あぶない。
コートジボワールもくたびれてるから助かってる。このラスト五分がひとつの山場。


たまぎわ。寄せないとダメだ。あいてに1mのスペース許したら、それは決定的な仕事されるよ。
(10:44:58)


(スペイン×オランダ、1-5、なんだったんだ、あのスコア)
(そういえばデルボスケの、スペインの監督のあんな顔 ―― タコ親爺顔、はじめて見た。レアル時代も一度もなかった。太ってるのに動かないという、人体なのか彫刻なのかわからない、不動のイメージがあったので、よけいに驚いた。タコ親爺顔だった)
(このゲーム……うちのREC機械が誤作動だったのか、番組表の時間が急に変わったのか知らないが、録画できてたのは後半の35分から45分の10分間で、ロスタイム途中で事切れた! いったいなんだったんだ! やられたよ!)



走れなくなった日本は、飛べなくなった豚みたいなもの。
赤は血の色。
とくに意味は無い。
誰もいない浜辺でラジオ聴きながらワイン呑んでる、いま。


だめだよ、あぶねえよ


前半おわった。


●ひと山は越えた
前半のピンチ ―― コートジボワールが前線に人数かけてこなかったから助かったようなもの。
日本はなぜか動けない。バイタル、サイドの深いところをコートジボワールに使われすぎてて、このままじゃ、こわい。
チームの攻撃のダイナミズムを練り上げる役割を担ってきた、左サイド ―― 長友と香川の連動は見られず、岡崎のフリーランを中心とした、右サイドの垂直的なアタックもほとんど作りだせず。
守備、距離感、攻撃の連動性の乏しさ、選手の戸惑い、覇気に欠ける様子、前線と守備ラインまでの間延び感、いまいちピンとこない「なにをしたがっているのか」という共通意識 ―― 後半に向けての課題はたくさんある。


ザック、どう修正する?


日本の生命線、体力が尽きかけてるように感じられ、なによりもこの点が怖い。
まさかだろう。
走れなくなった赤が豚だ。
(10:48:25)


●移植を断る権利もある
さきのツイート ――
「日本チームは律儀で真面目なので」というのは、別のアングルからいえば、「日本チームを構成する選手たちは、ざっくりとした記述になるけど……心の在り様に、ヨーロッパやアフリカ、アメリカ人のような“自律性/自意識/自信”が根底にないため、いざ何かと戦おうとするとき、規律や規則、集団性と一体になろうとする」ように見えるという意味だ。


でも、だから日本は幼いとか、後れているなんて、ぜんぜん違う。


「自意識/自立/自信」は、いわゆる欧米の影響を受けた考え方 ―― 臓器移植のように輸入された概念なんだとしたら、日本が、突如「個」に目覚めたわけじゃなく、そういった概念があるという事実を前に、なびいたり、つよく影響されたり、それまでの生き方をがらっと変えた人がいたんだとしても、そういった傾向が弱くない国民が多数いる国だとしても ―― それはそれ、「個」が心の傾向を規定し、そうなるように教育される風土がある欧米から眺めれば、そりゃ「日本人には、それが無い」って判断されるだろうが、だからなんだ? 別に欧米がいう「個」こそ、人類が目指すべき唯一の視座じゃないだろう?
「個」とか「自立」なんてない場所に、それでも生きてる人たちの間でなんらかの共有されるものがあり、文化があり、世界があり、暮らしがあった場所に ―― 「自信とか自意識とか確固たる個」みたいなフレームを持ち出し、押し当て、その色眼鏡でもって「ほら、おまえらには/われわれには、それがない」なんて、馬鹿にしたり見下すなんて、言いがかりじゃないのか。


これまでの日本代表チームが「規律や組織」に依拠していたとしても、その点を、おれは批判しない。日本に、日本選手に、ヨーロッパや南米の選手のような「自律性」がなかったとしたら、ああ、それは、そうなのだろうが、そうなる理由があり、脈絡があったはずだ、日本には。
それを考えることなしに、欧州や南米の強豪国を「理想のモデル」とし、「絶対の正解」とし、その価値観を頭ごなしに押し付け、日本代表を判断する ―― 断罪するのは間違っている。
たとえ、「個の意識」に目覚めたうえで連動しないことには、W杯で結果が ―― 勝利が得られないとしても、だ。


ただし、サッカーは、自信やプライド、個人という文脈に依拠した「欧州」を主フィールドに展開し、深まってきたスポーツで、現在、いってみれば血液が心臓に流れ込んでくるかのように ―― 世界中の優れた選手が「欧州」に送り込まれている。サッカーにおいては「欧州」こそが最激戦区(聖地とは違う)だ。
なので、いま、日本が、日本人が、このスポーツで成功しようと思えば、欧州で暮らし、育ってきた連中が重んじる(彼らの心にインストールされてる)「個」の問い、その目覚めに直面せざるを得ないし、日本で暮らし、日本で育ち、それについては違和感がなかったサッカー選手が海外に出れば「彼らと自分とは、何かが根本的に違う」というショックから逃れられない ―― という現実は、中田英寿ペルージャ移籍以降 ―― 欧州でプレーする夢を叶えた選手達のコメントから察せられる。


>>
@ama2k46 丸山眞男みたいだ。
『もし丸山眞男サッカー日本代表監督だったら』って本、どうだろう?w


>>
@alta_xxx 丸山眞男さんが、そんなこと書いておられましたかww
ルールを厳守し、でもときにルールに殺される日本チームの性格を見抜いたのが、個のプライドがベースにあるイタリア人のザッケローニという監督で、最後の最後で選んだ日本人選手が、いわゆる日本人ぽくない、枠を壊す選手だった点も面白いですー


>>
@ama2k46 さっきからの日本サッカー分析は、「規律に頼るのもしかたがないけど」ってところも含めて(丸山自身も違うよって云ってるのに、今も丸山をヨーロッパの基準を日本に押し付けるヤな奴と思ってるひとは少なくない)めっちゃ丸山っぽいw


>>
@alta_xxx 40年、50年前の分析に、いまの日本代表の姿が透視されている! 押し付けかあ。どれだけ勘違いされようと、丸山さんが、ぶれずに外から見続けたんだとしたら、それをさせることになった動機の凄みを感じます。


>>
@ama2k46 外の眼もセッティングしたあと、ずっと内側から見つめ続けた、って感じがします。丸山は。


>>
@alta_xxx ああ、そうか! いったん外で、それからはずっと内からだったとは。痺れる。
と、エウレカにうたれたが、それだけで終わらせず、いつかamaさんに尋ねられるように、読んでおきたい。


日本、ぜんぜん走れない。どうなってるんだ。ザック。なにやってきた
(11:21:25)


森重、なかに入られたらだめだー


本田、おもたい。


コンディショニングが最大の勝因になるってあれほど言ってきたのに。
なんでこんなに走れないのか。
走れないんじゃ戦術論もなんも意味をなさない。
サッカーは頭を使うが、スポーツなので、体が元気じゃないと、事前に用意してたものは、役に立たない。


バイタルとサイドにスペースを与えすぎてる。
コートジボワールはサイドに蹴り込んでればイージーな状況で、とても戦いやすいだろう。
このままじゃ自由にやられる、日本。


おいおい、どうした。


威勢のいい台詞、吐いてただろう?


重たさ、愚鈍さの果てに、人体や社会のはるか手前にある核心と結びつき、一体となるなんていう、ベケットの境地にたどりつくには、50年はやい、本田。はしれ。あるくな。あるくなら交代しろ。


ウルグアイコスタリカに……負けた? しかも、1-3で?)


コートジボワール、一点、そして二点目を取る
まだ20分はあるよ。
コートジボワールもぜんぜん調子よくない。交代を含めてチャンスを作り出し、ゴールを取るだけ。いける。どうしても勝ちたかったはず。


いいよ、本田。いまの粘りだよ。


●アフリカのライオンは群舞しない
ここからW杯の面白いところの話しになるんだけど、W杯はヨーロッパのクラブが参加する大会ではなく、世界中のチームが集まるので、そして、チームもその国の国籍を持ってる人間で構成されてるので、リーグレベルなら強いられる欧州化の影響を、受けてない(逃れてる)国があったりする。


今回のブラジルW杯で顕著なのが、アフリカのライオンことカメルーンで、カメルーンはいまだ国内で部族間の対立が激しく、練習中も口をきかない選手同士の様子がレポートされたりするのだが、この国の人々は、たぶん「和」という概念を知らない、もしくは、知っているが、重んじない。強い肉体を全面に出し、コンビよりは単騎で相手を倒そうとする。だからサッカーをプレイしても「組織」が表に出てこない。調子が悪ければ、即、バラバラだ。そんなカメルーンがW杯で結果を出すには、とんでもない資質を具えたプレーヤーが、伝説になるくらい活躍する以外、たぶん、ない。
今回のカメルーンチームも、いまのバラバラの状態で、試合についてもいまのやりかたで行くなら、リーグ戦で敗退すると思う。それは、いわゆる「W杯の結果」から見れば、カメルーンは失敗、と判断されるだろうが、カメルーンは、カメルーン人としてのリアリティを、現実感を、生まれ持った性格を、なにも現代のサッカーに、W杯の成功モードに同期させる必要なんて、実はないし、そんなことを強いる権利は、誰にも無い。W杯の優勝国、その選手、その国民にだって、ありはしない。


ヨーロッパ的なサッカーで結果を出すなら、W杯に勝ちたければ ―― チームをある程度は組織化し、連帯感をつよめ、連携したり助け合うしかない、それはセオリーというか、最低限の備えだ。団体スポーツで、バラバラじゃ、勝ち星すらおぼつかないんだ。でもカメルーンカメルーンでいい。部族間の軋轢なんて、カメルーン人や、よっぽど詳しく学んでる人じゃなかったら、いきさつなんてわかるはずないし、つまり、想像だって不可能だ ―― おまえのじいさんが、おれのばあちゃんを殺したんだ、みたいな、おまえのひいじいさんに、おれのひいじいさんがやられたんだ、みたいな、そういった憎しみの連鎖にあるのかどうかもわからないが、でも、もしそれに近い歴史があり、清算だって納得だってできていないのなら、それがどれだけのストレスになるか、チームとしてまとめられることに違和感があるか ―― わからない人間に、なにがいえるだろう ―― その点を無視して、ただサッカーの観点のみで、「おまえらW杯仕様になってない」と笑うなんて、こういった国際大会だからこそ、控えるべきではないか。


安易に「サッカーを巧くやる=ヨーロッパっぽくなる」というスタンダードに乗らないカメルーンが ―― まとまれば凄いチームになるだろうに、いつもお金の話で揉め、高いプライドでぶつかり、バラバラのままで、しかし、時々目が覚めるプレーを見せてくれる、アフリカンリズムのチームが、おれは嫌いじゃない。


そうだ。
長友、まだ走れる、時間もある。
弾際にフルパワーでいこう。そのディテイルがゲームの質を決めていくんだろう?
思い出そう。
(11:31:34)


攻撃に手数をかけるより、前線に人数を入れたい。このコンディションじゃ厳しいだろうが、山口や遠藤、両SBの攻め上がりと、波状攻撃をしかけたい。この時間帯から、その迫力が出せるかどうか。


まだいける。クサビが入れば、なにか起こる。
必要なら横パスもありだが、縦への意識を徹底しよう。
パスは、コンビネーションは、あくまでも手段。目指すべきはゴールだ。


いいよ。いまゴール付近に7人はいた。
これ以上の失点も絶対に逃れたいが、守備はCBの二人に任せるしかない。
もうひとつ、もうひとつ、前に仕掛けよう。


守備はタフに、シンプルに。攻撃はねばりづよく、しぶとく、なんどもなんども。


●日本、1-2で、コートジボワールに負ける


●どうしてこんなに走れない?
●チェックにもカバーにも、こぼれ球にもダッシュしない
ザックはW杯直前のインタビューで「コンディションの重要性は理解している」と言ってたが、この走れなさ、コンディションの悪さは、なんだ。
日本選手が連呼してた「スタイル」の徹底もままならず、試合の終わりには、うぐ……なんて皮肉だ ―― これこそ惨敗だ、ザックが「日本には合わない。高さは捨てる」と切り捨てたパワープレーに頼るしかなくなった。


コートジボワールがよかったなら、まだ気の持ちようもあるが、今日の彼らは、それほどじゃなかった。
すこしマークがずれ、先に走りこまれてしまい、体重移動の隙を突かれ、2失点した。
日本は、ここから修正点はいくつもある。 ―― が、そういうところより、走り回れなかったので勝てなかった、という単純な話し。
(11:56:41)


コートジボワールにシステムの質の差で負けたのか? 
技術や体力が劣っていたから? 
いや、長谷部、「我々が未熟」とかいう状況じゃない。
シンプルに、エネルギーが蓄えられているか、ブラジルの気候にフィットできてるか、そのための準備をしてきたのかが問われていて、戦術論でどうこういうレベルにない。
いや、一点差の負けで突き放されなかったことをポジティブにとらえ、もう二試合、どちらも勝つ。
ザック、あなたはブラジルから走って帰ってくるとして、ここからは体調のいい選手を優先してほしい。


(と書くのだから、おれはあなたたちがW杯前に「今回はスタイルを貫くために参戦している」と口を揃えた、あれを、まったく信じていないんだ。
あなたたちは、「スタイルを貫く」という言葉の意味を、あまり考えていないんじゃないか?
スタイル、それは「勝利」に結びつかないだろう、直結しないだろ ―― それはなぜかっていうと ―― と訴えられたとき、それでも、あなたたち日本代表は「勝つより、やっぱりスタイルの徹底を」というだろうか? おれはそう感じていない。
あなたたちは、プロなのだし、負けず嫌いだろう。じゃなかったら、その舞台に立てなかっただろ?
目の前の相手に負けることが、根本的に嫌だろう ―― 格上のチームには、時には守りに守って、一点もぎとって勝つ、それしかないじゃないか。そうやって、一試合一試合、勝つようにやってきたんじゃないのか。考えるより、直情で、負けるのが嫌だった……違うか?
とにかく、試合に勝たなければ、生き残れない世界のはずだ。
「スタイルの徹底」は理想に過ぎない。
「理想を追う」姿に感動するのは、理屈でねじれてしまった大人だけだ。あなたたち日本代表が、もっとも大切にしている相手はいまサッカーをやってる/これからプレイする子供たちの存在で、彼ら彼女らは、おれが思うに、あなたたちが「理想を追う」姿にはうたれない。彼ら、彼女らは ―― あなたたちの「理想とする」スタイルが具現化し、国際舞台の厳しい試合のなかに実際に「繰り出さ」れ、かつ、それが美しく、そして、相手を倒すだけのつよさを見せたとき、心から感動し、「いつかぼくも、わたしも ―― 」とエネルギーを燃やす。
違うかな?
おれ子供あんまりよく知らないから、見当違いなのかもしれないけど、そんなふうに思ってる)


日本代表は、とにかく心身のコンディションをあげることに専念しよう。チャンスは充分に残っている。
今回の日本は走ることができなければ ―― いや、走ることさえできれば、可能性があるチームなんだから。
「強い」とされ、ふんぞり返っているチーム、なんてW杯に一チームもないだろうが、下馬評を覆す快感とは、見下された者にだけ与えられるボーナスだ。「まだまだ三下」と軽蔑され、差別されているのは他でもない、ヨーロッパでプレーし、国外のチームと試合をしてきた、あなたたち自身だ、という憂き目を思い出そう。


暇つぶしにはなるかとRECしてあった映画『ホール・パス』が予想を裏切って笑わせてくれた。いま16時ころかなーと時計を見たら18時になるところだ。
W杯初戦 ―― 日本は負けたらきつくなるとわかっていて、それで、さっきコートジボワールに負けたんだなーとじんわりくる。
東京の快晴は梅雨の晴れ間で、一週間くらいは、こんな陽気らしい。







ブラジルワールドカップ『ジャパン×コートジボワール