幽遊白書がエロ過ぎる件と、パニック症状の軽減の覚書と、ものすげー誕生日からA君との会話について。




『オレが護ろうとしていたものさえクズだった』
仙水はそう言った。そこにはさ、
「オレの驕りだった。何かを“護ろってやろう”なんて気持ちはクズだよ」
「クズ、そうだよ。護ろうとする“オレ”の方こそクズだった」
そんな気持ちも込められていたんだろう。
“仙水を見て生き返った魔物はいない”とまで、云わせたんだ。
キレ者という自負があった。
実際、ヤレてもきた。
しかし、まったく見抜けてなかったんだよな、という自分への嫌悪。
そして負の感情はやがて反り、暗がり、もっとも愛しいものを鏡に据えた[投影=憎悪]に転じる。


  オレが護ろうとしていたものさえクズだった
  そんな生き物の血が流れているのが無性に憎くなったよ


  腐食部分こそ本当のオレだということもわかってくるからさ


  可愛いもんだろ?


それと、あとはおそらく背中の古い火傷みたいな形の、ちょっとした安寧か。


でもさ、仙水。
あれこれ明らかになった頃には寿命が尽きかけていて、おわりには魔界で仰向けになれたけれどさ、仙水、あんたは。
たいがいは、だ。
たいがいは、そういうのって終わらせられないだろ、いつまでも続くじゃんか。
そのさ?
あんたが云うところの“クズ”って感覚が頭にも体にも、こびりついてならなくって、それでも生きてかなきゃなんないって。
まあそれもまた、それなりに……っていうさ。


“死に場所を求めている”
そんな人物に編まれる幽遊白書は、いってみればとてもナルシスティックな作品で。
まあ、そこも魅力だったわぁ。


こないだも引いたけど、あのさ。
蘇生液にひたされて意識のない飛影を前にした、躯の独白だよ。
『生きろ』って。


どうするよ。
そんなん告げられたら。
惚れた奴に。
言えるかー。
惚れた人に。
そんなん言えるか。


あなただったらどう?


だって、ならざるを得ない定めとして、躯はいつか飛影に殺られるじゃない。
そうであるんだと、ふたりは察していて。
だから、あの躯の吐露は、
“飛影。目をさませ。さましてオレを(あたしを)見ろ。この醜い体を見ろ。焼き付けろ。そして、いつか殺せ”
って含みまで込められてる『生きろ』だった。
“見ろ。焼き付けろ。殺せ。飛影。そしてオマエは生きろ。”
しかし二人のあいだで、本音や本性が、言葉でもって交わされることは、おそらく一度たりともない。
カタルシスやエクスタシーは訪れない。永遠に分かち合われない絶頂感。
絶対に来ないって言い切れるんなら、それは「無」ってことだから、前提にすら、等式にすらならない。
つまり、これってイキっぱなしってことだからね。
そういうところもなあ、まったく、エロティシズムが濃すぎて……
考えるたびクラクラすんだけど……
もちろん飛影が躯を殺したって、躯が飛影に殺されたって、だからって、なにひとつ終わらない。
そんな二人が“氷泪石”を継ぎあうんだ。
これが、躯と飛影のつらなりが、それが何のメタファーかって?
いやぁ、いっくらおれがヤボったいからって、それ言っちゃ二人に切り殺されちゃうよ。
いや、やられんのが嫌なんじゃない。ただ殺られる相手はもう決めてるんだ。あの二人じゃない。
って、まあそういったって、まぁだシャバじゃ会えてないんだけどさ。
……え? 
ううん。聞き違えだね。きっと、それ。


つーか「躯(むくろ)」って、劇中では「身」へんの右に「コ」の垂直反転と、その中に「品」なんだよな。
漢字出せなくって。
いまいち気分がなあ。





なんだろねぇ。幸運なのか、定められてたものなのか、恵まれてるのか。人でないものっていうか……星を見下ろしてる奴に、ってわけでも無いんだけどなあ、なんなんだろう、この……唆されていたり、哂われていたり、どこかから操られてるみたいな……よくわからない感覚って。だって、今まで生きてきた、そのどこまでが、自分で決めたもんなのよ。ほんとにな、わからないな。神様とか言えたら楽だなあ。だってあんなことがあって、それから、まさかあんなことが起きるなんて。たった数時間前までは、憎々しさや、落ち込み、軽侮だとか蔑視を呼ばれる対象でしかなかった土地だったのに。あっという間に、そうでなくなったりして。書き換わる。書き換えられる。上書きされる。上塗りされる。誰に? 誰にだよ。人称の問題だよ。想像力の、命運の、大枠の、大局の話だよ。なかんずく、その夜かぎりの花の香にでも誘われたらば、それからはもう人生は、まるであらたなる舞台。だから、どうしてその花は、そこに咲いていたの。あの時に、あの場に、なぜに魅惑の香を、たてていた。


とてもここに載せられないような出来事が起こり。
とてもここに載せられないような状態に陥り。
とてもここに載せられないような大逆転劇にあらしめられ。


ああほんとだよ、一生忘れられない誕生日になりましたとさ、の話なんだけどさ。


いや、そうなんすよ、こないだまた一つ年食いました。
でさ、あの日って目覚めたら六人から別々にメールが届いててね。てめーの誕生日なんてあちこちで教える機会ないじゃん。だから、みんな知らないのよ。六通のメール、おめでとうコールではなかったの。なのに夜中から朝にかけて六人から……普段はケータイもPCメールもほとんどしないから、普段は週に一、二回かなあ、人とやりとりするの。だからこれってすごいことでさ。一日に六人からメールが届いてるって。みんなどうしたんだっていう(笑)それがまた誕生日にっていう。


思い返せば……けっこう思い当たる節があるっていうか、なんだろね、こういうの。
流れとか巡りが大きくかわる寸前って、こういう偶然とか一致に、後押しされたりしてさ。
ちょっと凄いことになりそうな気がする、来月から、っていうか、もう始まってるんだよな。
でね、それで……って話なんだけど。
『人生ってすげえ』
こっからのメモ、そうじゃないんだ思わせぶりにしたいんじゃないだけど、このヤマに色んな人が関わってるんで書けないことだらけで、なので伏せたダイジェストが精一杯でってわけで。


あんとき……あーもうだめだ、このままくたばるんじゃないのかおれはここで……( 中略 )……え、ほんと? だったらさ、それなら……( 中略 )……軽く一杯呑んでこかーなんつって入った呑み屋で……( 中略 )……しばらく居たあとおれが一人になった瞬間に、あれどういうつながりなんですかーって……( 中略 )……若いバーテンの子が興味を持ってたらしく
「あのぉ……おにーさん……」
って遠まわしに尋ねられたんで ……( 中略 )……なんつって顛末をかいつまんだら
「ま、ま、マジすか! あるんだ! そういうの初めて聞いた! え、じゃあ、これから●れて●っちゃおうとしてるってこと? いま●まってる●●に? げーっ、すげえ! にーさん勇者ッすね! 勇者!」
おれいろいろ誹謗も中傷も軽侮もされてきたけど、さすがに勇者って言われたことはなかった(笑)
あれいま思い出しても噴いちゃうんだけど……勇者ってなんだよ(笑) 
と、まあ意味わかんねー、だね。


まあメモだからね、メモ。このブログ“目も耳もどっちもブロックしてたらそれでALLグー”の略で「メ モ ブ ロ グ」だから、基本的に。
目も耳も大事でしょう?
じゃなくって、メモってしておくと、のちのち役に立つことあるよね。
ていうのも、ここんところ立て続けにさ、自分にとってすげー大事って思ってた記憶が、じつは間違ってた(変化してた?)って痛感する出来事があって。
「これは絶対に忘れないなー」って思うじゃない、そういう出来事って、思わない?
おれはずっとそう思ってたからダメだったかあ。
そんときの話を別の人から聞いたりさ、当時の記録なんか読み返すと……いやぁまあ、その……びっくりするくらい間違ってんだ(笑)
だから、なんか書き残しておかなきゃなって。スケッチくらいはね。やっておこうって。





そうそう四年越しの念願叶ったんだわ。
南方の朋苑に行けたー。


朋苑て焼肉屋なんだけどね、いやあ、行けた……すごい……パニックなど各種神経症が酷いときなんて高円寺から新宿まで電車乗れなかったし、がらっがらじゃないお店とか場所なんて居られないくらいだったのになあ。
夜行バスに乗って、知らない土地で電車乗り継いで、飯食ってタクシー使って移動しまくりで……行けた、やれた。
長かったあ。ここまで来るのに四年ちょい、たっぷり時間かかったな。
まだ怖さもろもろ消えたわけじゃないし、電車移動で出かけた先では、帰りのこと考えちゃうから、あんまり食事できない。バスにしても、街中を走ってるヤツには乗れなくて、あれだと5分持たなくて……だけど個室のあるバスなら、ほぼ大丈夫。乗用車もタクシーも怖いけど、ふだんは乗らなくたって生活できるんだし、まあテンション高ければ乗れるようにはなってきてて。パニックに関しては、いま生活にほとんど支障ない。やりすごす方法もたくさん覚えた。
一人じゃダメだったと思う。こういう精神状態になれなかった。
だってマジで死ぬまでこのままだろうなって諦めてたし、なにやっても効果なくって。もうやだ。辛すぎる。外に出たくない。ぼろぼろだよ……なんでこんなことに……って嫌気がさしてた頃から、ずっと励ましてくれてた友達が何人かいて「こないだ夜行バス乗って出かけれたわー」って話したら「え! ほんと! すごいじゃん!」って喜んでくれてて。
それが嬉しい。ほんとに嬉しい。いい報告できてよかった。
いま苦しんでる人たくさんいると思う。そもそも、東京みたいな都市って……ビルとかデパートとか駅とか、あんな狭いところ人工的な殺風景なところに、ありえないくらい人が集まって、無関心で、急いでいて、不機嫌そうで、警戒心にヒリヒリしてて……そんな場所で過ごしてたり、詰め込まれたり、逃げられなくなってたら、当たり前だろう、そりゃ調子も悪くなるんだから、おれみたいに、いや、おれよりもっとひどい人だってたくさんいる、いて当たり前だと思う。「もう絶対バスとか電車とかムリだから」って感じてる人、たくさん居るだろうな。
けど、おれはなんとか回復したっすよ、だから、そのまんま苦しんでなきゃだめってことでも、ないかもしれない。 


瞑想やりました。半年はたっぷりかかったなあ。過去にさかのぼって、思い出せる限り、パニックに苦しんでる自分に声をかけに行った。それから、ゆっくり、聞けるだけの話を徹底して聞く、そういう瞑想。
瞑想はよくモノの本にも出てるけど、ちょっとアレンジした。おれは瞑想するとき、もっとも苦しかったパニックのシーンや、似たような状況で発作を体験した“自分”を連れて行った。だから、そのときイメージなかには
1.ケアしたいパニックの記憶に出てくる自分 
2.もっともきついパニックを過ごした(ケアしたい状況と似たパニックを苦しんだ)自分 
3.いまの自分
の三人の“自分”がいる。で、2&3で徹底的に1の話を聞いてって、聞き尽くして、とりあえずハグ(笑)おまえよくがんばったよ!ってハグ(笑)
この“(笑)”が大事なんだよね。ただでさえシリアスな状況だから。積極的に解放してくモードにしてったほうがいい。深刻になっちゃったら持っていかれてしまう危険性が増える。
これは効いたよ。1の話聞いたあとに、まあそれからのこととか2.3で話すんだけど、大丈夫だったから、今があるからって。お前がそこで考えてる、もっとも深刻で甚大なイメージっていうのは、起きなかったし、起きたところで、きっと大丈夫だったよって伝える。そうすると、なんかちょっと楽になる。瞑想するたびに、この“ちょっと楽になる”っていう感覚がくっついて、だんだん気楽なスペースっていうか心理みたいなものが、育ってくるんだよな。
これやってたら思いついたんだけど、パニック対応についてはもうひとつ、トラウマ発生現場に立ち戻ったことも大きかった。
刷り込まれてる発症現場って二つあって、一つは「台湾〜帰りの電車」っていう特定しづらい経験や空間や時間なんだけど、もう一つは渋谷のドンキホーテの食品売り場だったから、そこには行ってみました。「もう、おまえに苦しめられるの、これで、今日で終わりだから! 好きにさせねーぞ! 舐めんな!」って黙祷してきた。儀式って大切。あれやったもんな、踏み出せたよなって、象徴になるから。
あとは「そもそも、どうして、その出来事が、“傷つく”ものになったのか、そういう認識に至ったか、思い込んだのか」ってところこそ「本当の問題」って気づけたことも、よかった。パニってた、そのときどきの自分やポイントを、ひとつづつケアしてくのも大事だし、やらなきゃなんないんだけど「そういえばなんであの出来事がこんなにも傷になったんだっけ……どうしてあの出来事が起きたんだっけ……そうなる手前の過ごし方や考え方に治せるところはないのか……もしかしたら自分で呼び込んだ出来事だったんじゃないか……」ってところは、ぜんぜん考えてなかった。ただ「あーなんで苦しいことが起きてしまったんだよ」って考えるばっかりで。
たとえばさ、遠足に行ったとき弁当が腐ってたとするじゃない。え……すごい楽しみにしてたのに……なんで……しかも腐ってるなんて人に言えない……恥ずかしいし……自分だけ馬鹿みたいだし……って、すごいトラウマになっちゃう人が居るとして。でも、人によっては笑い話にもなるよね。え、なんでそんなに気にするの、って。で、ここが考えどころでさ。おれ、そういえば「なんでそんなに気に」したんだろう、弁当腐ったこと、って考えてみる。そうすると、完璧主義とか、腐りやすい食材を使った作り手(手作りだったら父とか母とか)に対してさみしくなる気持ちとか、あと回りに言えない→信用・信頼できてない感じ→いってみれば自己への信頼感に欠ける心理や生い立ち……みたいなものが明らかになる。それから、腐るのが嫌だったなら、あらかじめ「腐らせないようにする」って方法も取れたんじゃないのって考えてみる。どうして浮かばなかった? そういう発想が出てこなかったのはなぜだろうって。ここを考えはじめると、一方的な被害者ではいられなくなるし、おなじこと繰り返さないように意識づけできて、実践する方法も具体的に出せるようになる。
トラウマった自分の話を徹底的に聞き出していきながら、一方で、こういう、単なる出来事を「事件」として眺めさせる色眼鏡をぶっ壊していく。言葉はあれだけどね、あーそうか眼鏡かけてたんだなとか、色がついてるんだな……とか、そういうのわかるといいよね。原因となってる心理的な問題を解決、解消、解放するメントレも一緒にやるって感じで。

おれは、トラウマ現場に戻れるまで三年ちょいかかったなあ。
いや、現場に戻るなんてアイデアにすらならなかった。
人それぞれ、体にあった方法があるはず。それが見つかればね、すこしづつ、でも、かならずよくなる。





南方の朋苑ね。噂にたがわぬいい店だったわー。女将、気さくな方だったしね、まあなんつったって焼き方が……めっちゃ上手!「え? これ同じ肉? 別もんなんじゃなの?」ってくらい、食感が違うんだなあ。女将とおれ、おなじ肉を焼いてるのにだよ、まじ……こんなに味かわっちゃうもんですか……ってびっくりの連続。「あの。すみません。どうか専属になってください!」って言っちゃいそうだった。だってそれのが肉も喜ぶじゃん。
あいにく生肉系は仕入れがなかったみたいで、レバ刺しとユッケなあ、食いたかったな。それは残念だったけど、タン塩、塩ハラミ、ねぎツラミ、あご肉、ロース、シマ腸、マル腸にゲタバラ……思い出すだけでーうわーってなる。
平日から混み過ぎてて予約しないと入れないって聞いてたから、当日じゃ、しかもこんな夜遅くじゃ絶対ムリだろうなーってダメもとで電話したら「大丈夫ですよー」で、まじですか! だった。着いてみて「あのーいつも混んでるって聞いたから、あきらめ半分だったんですよー電話したとき」なんて話したら、どうやらこの日は本来なら休業日だったらしい。それでお客さんも少なくって。
席ついて早々に「あら、あなた音楽関係じゃないの? そう見えたわあ、そうなの書き物してらっしゃるのね。私の父も小説を書いてたんですよ。枕元にいつも原稿があってね、夜中にバタって起きると、わーって何か書いたりしている姿、よく見ていました。不思議ねえ、書き物する人って、どうしてああいう感じなのかしらね?」
なんて女将に話を聞かせてもらいつつ、じょうずに焼いてもらいつつ……しかも朋苑はコスパが良いしね。おすすめです。
贅沢な時間だったなあ。





こないだ久々に会えたA君と話したこと、先がわかんないって凄くない? こういう気持ちっておっかなくってどうしたらいいかって……ヤバイっしょ……予測が立たない、先が見えない、勘が働かない、そしてやることなすこと次々に空回りが続いて……という状態が、よく言われる言葉とかで片付けられないよなって、あれってほんとになんなのって話したんだけどさ。
A君は? そこでどうなった? どうなるか、どうなった? 
へえ。ああ、そうだったんだ……すげーなあ、そっから今日までたどりついたんだ、乗り越えて、伝えて、諦めないで、そうかそうか……
なんかさぁ。自分自身なんかまったく保てず、せっせと溜め込んできた、組み立ててきた理屈や論理が、なにひとつ役に立たなくなって、構築に賭けてた自分自身の価値も意義もそこで失われるじゃん。見得も見栄えも剥落する。剥げ落ちたあとの薄っぺらで細々としていて情けない素っ裸の自分がうろたえた姿をさらしていて、心細く、心細いなんて糞みたいな感情はまだあるのかよクソだなっていう不条理とか焦燥心とか羞恥心とかに激しく落胆し、なんだよぜんぶ壊れたわけじゃねーんじゃねーか畜生って悔しくもあり、それでいてオマエすこしホッとしてんじゃねーの落胆とか書いてんじゃねーよ落ち込みに親しむところがあるじゃねーかよって自意識に責められてあたふたしたり、されたり、させられたり。
そうこうしてるうちにだよな、残したいもの伝えたいこと構えたい気取りなんかはぼろぼろになって、どうしたってどうしてもなんとしたってって、それはそれは強く……ほんとに強く……かつてないほど強く……そう思っている気持ちが膨らんでいくにつれて反比例するように……っていうか強い思いは逆噴射のエネルギーで「あれ? そういえば……」なんて己だとか今を鑑みる暇なんか許されず急転直下で奈落行き、その最中の、あの逆巻きと渦巻き……酔いもひどく気づけば身の回りには、目まぐるしくかわり過ぎる状況や心境があって、それは灰色ですらなく、なんだかもう闇のようにすら感じられる暗澹たる空間に、ぽつん、たった一人見棄てられたような気持ちで。もう充分だろ、こんなに最低な気分で、これが底だろってふてくされようにも、なんということなの、酷い、あんまりじゃない? ぽつん、にすら、留まっていらんなくって。
情も願も、灯もあるんだ、そこに、そのままなんだ。
しかし、なにせ素っ裸にさせられてしまってるからな、それだけに……だろうな? そういった感情や羨望や憧憬そのものの質は、強烈に本質的に感じ取れてしまうっていう皮肉について、そのときはさぁ、まったく頭が働かないんだから言葉にできなくって、それができればなぁ、ほんの少しは落ち着けるのにな、言葉がカチってはまってくれたら、手がかりとか手すりみたいなもんとして、ちょっとは定まりも生まれるんだけどな、ぜんぜんで、まいっちゃうよ。
あ、いや、そうじゃないのか。
言葉にならない、ならない……ならないじゃない、なってるのかもしれないな、かもしれない、けれど、おそらくそうであったところで片っ端から壊れていくんだ。崩れ、叩かれてしまう。ついで、もっとも遠ざけておきたかった、最悪の、最低の、最凶の結末が近づいてくる恐怖。
ひたひたと、じゃなくって、足音はしない。
おそらく、聞こえすぎて、聞き取れない。
どうすんの。どうなんのよ。こっから。どうしてったらいいの。
わかんない。
ほんとにわかんない。
ほんとにわかんないって、こんなにもおっかないんだって、それはわかった、感じられた、いまもそうだけど、そう気づけたから……よかったのかもしれないな。ああ、そうか。そうなのかも。そう考えられたらいいなあ。ありがとうってさ、思えて、関わっている、つながっている、作用しているすべてのエレメントに感謝して、そっからポジティブな面を引き出してきてさ、ひとつひとつまた確かめて、ああこれがあったから、あんな出来事だったけど、あれがあったから成長したなあって感謝して、ありがとうって思って、また歩き始めて、それがいつのまにか自分自身の道行きになっていてって、まあ、そういうの全部お釈迦になったわけだ。
なにが“ありがとう”だよ。馬鹿かよ。
最低な気分だっつの。ちがう。最低な気分ですら居られないんだ。どうしたらいいんだよ。おい。誰だよ、誰? 誰か哂ってんだろ、どこに居るんだよ。出て来いよ馬鹿野郎。オマエ、おれから、自分や他者や記憶や、方法や論理や見通しや、将来性や時間や、空間や居場所や希望や、可能性や、甘い記憶や、けだるい夜や、正気や本性や肉声や、あたたかさや、しなやかさや、いい匂いや、たまらなくさせる肉の、その近さとか、ほんのわずかな距離の愛しさとか狂おしさとか、そういうの……誰だか知らないが……ぜんぶ、ぜんぶおれから奪って、それで失くして、オマエに取られて、盗まれて、すっかり奪われて、すっかり奪われたことに冷たくなっていたら、もっとも奪い返したいもののほうからだよ、とつぜん……マジ? マジなの? なんで? なんでいま? って、奪い返したかったもののほうから独りでに返ってきたみたいな、そういう信じられない出来事が生じたりして、あんまりの幸福感に気絶しかけた刹那、おまえはやって来る。薄ら笑いを浮かべながら近づいてきて、ひとこと「――――――」と耳打ちを遺し、またなにもかも壊して去っていく。いや。おれはさ、そんとき壊されたことすらわからないんだ。ぼんやりとする? いいや。そんなに穏やかなもんじゃない。取り乱している、そんな気分だが、それが自分自身の困惑なのか、それとも、身の回りの状況があまりにも激しく動いているからなのかは、うえに書いたとおり、わからないんだ。
おかげで、おかげでっていうのも変だけどさ、使える言葉が変わったよ。
んーと、減ったのかな。どうなんだろうな。いまも落下の、その最中っちゃ最中だからな、このことについて、どう言えるか、なにを語れるか、まだわからないな。ただ、もう使えないなっていう言葉はある。わからないことについて、うまいこと言える言葉があるんだ。いくつもある。それらを使う。使いながら進む、見る、確かめる。しなきゃならないときも、あるかもわからない。ただ、たいがい、ある淵から先にいけば、やっぱり、そういった記述の、どれもがウソったらしくてならない。
残念なのはさ、A君。せっかく話ができたから、たくさんヒントを教えてもらえたから、いい報告したかったんだ。でも、だめだったみたい。きみがたどった軌跡、どうやらおれには許されなかったらしい。いずれ地や面にあやかれたらばさ、どうにか立ちあがって、また歩いてみると思う。だから、どこかの辻ででも再会できた暁には、そうだな、また笑えたらいいな。
A君。
今秋のきみを、甲高き産声が引き裂きますよう。